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  • 執筆者の写真元気牧師

4月13日(土)



【聖句】


どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。

何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、

求めているものを神に打ち明けなさい。


(フィリピの信徒への手紙4章6-7節)



【黙想】


先日の朝の祈祷会の折に、

出席者の皆さんに祈りが聞かれた証をしました。


ここしばらくの間、

私は、小学生の息子のために、

「彼にとって一番ふさわしい担任の先生を与えてください」と祈り続けていました。


そしてわたしのこの祈りは、

まことに驚くべき仕方で、かなえられたのです。


祈祷会に出席していた方々も、

すごーい、と喜びを共にしてくださいました。


帰りがけに、ある方が

「こんなことも祈ってええんやなあ」っておっしゃっていて、

「そうですよ~」と喜び合いました。



こんなことも祈って良いのだ―。

この言葉が、私の心に残りました。


もとより彼女は祈りの人ですから、

わたしもいろいろな祈りをお願いしています。


ですから、彼女のことはぜんぜん心配していません。


でも、「こんなことも祈っていいんだ」っていう感想って

もしかしたら聞き流すべきではない言葉だったのかもしれないと思ったのです。



息子に良い担任の先生が与えられるように祈る。

これはごく普通の祈りだと思っています。

「こんなことも祈っていいんだ」とは思いません。

普通の、日常の祈りです。


もしこのような祈りすらも

「こんなことも祈っていいんだ」って感じるとしたら、

もしかしたら、もしかしたら、

祈りっていうものがどことなく「日常生活」からかけ離れたものになってしまっているのかもしれません。


たしかに祈りは特別なことですが、

半面、イエスさまが与えてくださった祈りは

私たちキリスト者にとっては呼吸のように自然かつ欠かせないものです。



聖書は言います。

どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。

何事につけ・・・求めているものを神に打ち明けなさい。


わたしたちの祈りは、

もっと生活に近いところにあるべきです。


あなたの日々の祈りの言葉は、

生活臭がしますか?

それとも無味無臭、無色透明ですか?


繰り返します。


わたしたちの祈りは、

もっと、もぉ~っと、生活に近いところにあるべきです。




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