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  • 執筆者の写真元気牧師

9月13日(火)



【聖句】


知らないのですか。

あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、

あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。 


(新約聖書・コリントの信徒への手紙一6章19節)



【黙想】


知る人ぞ知る『ハイデルベルク信仰問答』の問1は、

「生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何か」と問うています。


そして「答え」はこういう言葉で語り始められるのです。

[答え] 
わたしがわたし自身のものではなく、
・・・イエス・キリストのものであることです。

ほんとうに衝撃的な答えだと思いませんか。

わたしがわたし自身のものではないということ。


頭では分かる。

でもそれだけでは何の意味もありません。

全身全霊でこのことを味わい知ることです。

わたしはもはや、わたし自身のものではない。

イエスさまのものだ、と。

ここに慰めがあります。

ここに自由があります。こ

こにすべてがあります。


このただ一つの慰めを悟り、

味わい知るために欠かせないのが、

「聖霊への信仰」です。


どこか遠くにいる御方として信じるということではありません。

パウロこうは言います。


「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿である。」


驚きです。本当に驚きです。

聖霊が私たちの内に宿っておられる。

「宿」っていう漢字は、

ある人が一つ屋根の下で布団を敷いて留まっている様子を現わしていますが、

まさに、聖霊が私たちの内におられ、

私たちの内に住み、私たちの内にお留まりくださっているのです。


では聖霊とはどなたですか?

父・子・聖霊なる三位一体の神の第三位格・・・

いやそんな難しげな言葉ではなく率直に申し上げましょう。

聖霊とは神の霊です。霊なる神です。神です。

聖霊が私の内におられる。

それはすなわち、私の内に神がおられる、

神が住んでおられるということです。


いいですか、あなたの内に神がおられるのです!

まずは、この神からの真実を受けとめようではありませんか。

この事実に目が開かれるとき、信仰が目を覚まします。



【小さな祈り】


天の父なる神様。

わたしはもはや、

私自身のものではありません。

わたしの真実な救い主、

イエス・キリストのものなのです。

そして主はご自分のものとなった者を、

愛と御力をもって守り通してくださいます。

主の腕の中から、

私を奪い取ることができるものは何一つありません。

私は主のものです。

*あなたの言葉で祈りを続けましょう。


アーメン。


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