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  • 執筆者の写真元気牧師

9月11日(日)



【聖句】


民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。

あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。

神は、われらの避け所である。


(旧約聖書・詩編62編8節[新改訳])



【黙想】


どんなときにも、です。


順風満帆だったり、無風状態のときに口先で

「神よ、信頼します」というのは誰でもできることです。

苦しみの時、嘆きのとき、

悲しみのとき、

どうすることもできない試練の真っただ中で、

それでもなお「神よ、あなたに信頼します」と告白すること。


信仰は感情ではありません。

悲しみは悲しみなのです。

苦しみは苦しみなのです。

しかし、その悲しみの中で神を信頼することを選ぶ。

苦しみの中で神を信頼することを選び取る。


これは「気持ち」の問題ではありません。

神の言葉に対する「従順」の問題なのです。


朝起きる。

今日は出張だ。

気が進まない。

だから休む。


そうではないでしょう?

気が進まなくても、

気が乗らなくても、

あなたは朝ごはんを食べて、歯を磨き、

ネクタイを締めるじゃないですか。

それは気持ちの問題とは別の話ですよね。


まったく同じとは言いません。

でも、信仰も、それと似ています。

礼拝も祈りも、それと似ています。


聖書は言います。

民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。
あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。
神は、われらの避け所である。

どんなときにも神を信頼し、

神に向かって祈るのです。


難しい言葉で祈らないでください。

カッコいい言葉で祈ろうとしないでください。


「注ぎ出せ」とあります。

水はどんな格好になってでも、

ひたすら低い方へ流れていきます。


同じです。

水を注ぐように、

一切飾らない言葉で祈ってください。

言葉にならなければ、

呻き、叫び、声をあげください。

高熱でうなされているときは

「苦しい、苦しい」なんて言いません。

「うう」とか「ああ」としか言えません。

息を吐くことしかできません。


祈ることだって、それで良いのです。

神を信頼して注ぎ出してください。


それ以上のことは言いません。

難しいことは言いません。

やってください。

やってみれば、分かります。


神様が分かります。



【小さな祈り】


天の父なる神様。

私はあなたを信頼します。

あなたを信頼します。

今、わたしは、あなたの御前に注ぎ出すべきことを

聖霊に探っていただき、示していただきます。

*どんなことでも結構です。

 注ぎ出す祈りをしてください。

アーメン。




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