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  • 執筆者の写真元気牧師

7月29日(金)


【聖句】

主に望みを置く人は新たな力を得、

鷲のように翼を張って上る。

(旧約・イザヤ40:31)



【黙想】

10年くらい前でしょうか。

その年にいただいた誕生カードに

この聖句が記されていました。


もちろんこの聖句を知らなかった訳ではありません。

しかし「贈られた聖句」としてあらためて対峙したとき、

本当にこの主の御言葉の力に圧倒される思いがしたことを今でも良く覚えています。


それから2,3年経った頃でしょうか。

ひどく心を落としていた日々がありました。


何にもやる気がおきない。

ただただ心が重い。そんな日々。


ある日、机に座ってかろうじて開いた聖書。

その時わたしの目に飛び込んできたのが、この聖句でした。


この聖句、

ちょうど分厚い聖書の真ん中くらいにあるでしょう?

たまたまそのあたりを開いたのです。


しかし主が、聖霊が、そのところを開かせてくださったのだと思います。


わたしはこの御言葉を、

何度も何度も、何度も何度も、声に出して読みました。


「ああ、そうだった、そうだった…そうだった…」。


本当に、目の前に光が差し込むのを感じました。


頑張り過ぎていたのです。

自分の力で、自分の方法で、と。

ちいさな羽をバタバタしながら、


なんとかあの雲の上まで、と。

でも当然、あの雲の上どころか、

屋根の上にすら届きません。


聖書は言うのです。

「鷲のように上りなさい」と。


鷲は両の翼を大きく開き、

上昇気流をとらえて身をゆだね、

ゆだねることで、天高くのぼっていきます。

羽ばたかずに。


兄弟姉妹、

信仰の戦いとは、

翼をはためかせる戦いではなく、

翼を開いてゆだねる戦いです。


どれだけ委ねられるか。

いかに多くを明け渡すか。

どれだけ我が力を手放すことができるか。


自分の力で戦うのではありません。

むしろ、自分の力を捨てる戦いなのです。


私たちがこのような類の戦いに集中するとき、

あれだけ思い悩んでいたことが、

まるで朝日の前の霧のように、

静かに、しかし確実に消えていくのを味わいます。


主は、とこしえにいます神。… 疲れた者に力を与え、 勢いを失っている者に大きな力を与えられる。 若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが、 主に望みをおく人は新たな力を得、 鷲のように翼を張って上る。 走っても弱ることなく、歩いても疲れない。

【小さな祈り】


天の父よ。

委ねます。委ねます。

そう言いながら、ぜんぜん委ねていないのです。

この手は固く握りしめられたままなのです。

わたしが恐れているのは、

あなたに委ねていないからなのです。

どうか主よ、

わたしを憐んでください。

あなたの御手を掴もうとするのではなく、

あなたの御手に掴んでいただくために、

やわらかく両手を開くことができますように。

実はあなたに委ねていなかったことを、

いま、明け渡すことができますように。

(あなた自身の言葉で、心からの祈りをささげましょう。)

(小声でもいいので、声を出して祈ってください。本当に。)

アーメン

【小さな祈り】


天の父よ。

委ねます。委ねます。

そう言いながら、ぜんぜん委ねていないのです。

この手は固く握りしめられたままなのです。

わたしが恐れているのは、

あなたに委ねていないからなのです。

どうか主よ、

わたしを憐んでください。

あなたの御手を掴もうとするのではなく、

あなたの御手に掴んでいただくために、

やわらかく両手を開くことができますように。

実はあなたに委ねていなかったことを、

いま、明け渡すことができますように。

(あなた自身の言葉で、心からの祈りをささげましょう。)

(小声でもいいので、声を出して祈ってください。本当に。)

アーメン。





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