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6月23日(金)

  • 執筆者の写真: 元気牧師
    元気牧師
  • 2023年6月23日
  • 読了時間: 2分



【聖句】


絶えず祈りなさい。


(テサロニケの信徒への手紙一4章17節)



【黙想】


この聖句は、

よく知られた次の聖句の一部です。


 いつも喜んでいなさい。

 絶えず祈りなさい。

 どんなことにも感謝しなさい。


ある教会を訪れたとき、

礼拝堂の壁面に力強い筆遣いで

こんな言葉が掲げられていました。



常時喜悦
不断祈祷
万事感謝

あまりにも太く力強く

勢いのある筆遣いに一瞬

たじろぎつつも、

信仰者として大切な

この三つの姿勢に

襟を正される思いでした。


でも、私は思います。

これらのことは、

何か力んでエイヤと

頑張って目指すことではない。


もちろん、のんべんだらり、

ではいけないと思いますよ。


でも、力んで頑張ることとは

違うのです。



ある教会の牧師の著書の中の言葉です。


ふだん早天祈祷会に来ていない信徒が急に来始めると、その人に何か問題が起こったことが分かります。しばらく熱心に祈っていたのに、また来なくなると、問題が解決したことが分かります。そして、またしばらくしてその人が早天祈祷会に来るようになると、それはまた問題が起きたということです。このように、ほとんどの信徒たちは問題が起これば熱心に祈り、解決されれば祈りを休む、というふうに、問題を中心にぐるぐる回っているようです。

しかし、特別な問題がなくても、いつも祈りの場を守っている人がいます。いつも祈っているため、何か問題が起こっても、神さまから平安が与えられます。これこそが知恵です。

ほんとうにそうだ、と思わされます。

私たちは神様を中心にしているのか、

それとも「問題」を中心にしているのか、

どっちでしょう。


神様を真ん中に生きているなら、

自然に、自ずと、祈るのだと

思うのです。


「問題」に支配され、

「問題」を真ん中にして、

まるで「問題」の前にひざまずくように

して生きていたら、

祈りの生活をすることはできません。


私たちは、

力んで頑張って祈ることではなく、

神様を真ん中にして生きることに

心を傾けたいと思います。






 
 
 

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