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  • 執筆者の写真元気牧師

5月9日(火)



【聖句】


主よ、お話しください。

僕は聞いております。


(旧約聖書・サムエル記上3章10節)



【黙想】


多くの人は、

自分が人前で「話す」ことには

困難を覚える反面、

自分が人の話を

「聞く」ということには、

あまり意を用いていないように

思います。


私は思います。

話すよりも、

聞くことの方が何倍も難しい、と。


そんなことはない、と

あなたは仰るでしょうか。


では一つ質問です。

あなたは人と話をしていて

相手が沈黙したら、

すぐさま間を埋めようとして

口を開きませんか?


いかがでしょうか。


率直に申し上げますが、

沈黙を恐れていたら

本当の意味で「聞く」ことは

できません。


「沈黙」を聞くこと。

そしてその沈黙の次に

相手がぽつり、ぽつりと

話始める言葉にこそ、

真実が込められていること。


私たちはきっと、

もっと「聞く」ということを

学ばねばならないと思うのです。


そして私はさらに思います。

目の前の一人の人の

言葉を「聞く」ということが

できなくて、

どうして「神の言葉を聞く」

ことができるだろうか、と。


神様は恐らく、

日ごとに語りかけて

くださっているのです。

問題は私たちが、

その御声を聞きとっていないことです。


生活の中にも

祈りのなかにも沈黙がなく、

沈黙を自分の言葉で

埋めようとしてしまっている

のではないでしょうか。


そんなことを考えながら、

あらためて気づかされます。


たとえば詩編の中には、

主への賑やかな讃美だけではなく、

「沈黙」して主に向かう姿が

案外多いのです。


最後に、そのような詩編の中から

いくつかをご紹介します。



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沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。

(詩編37:7)


わたしの魂は沈黙して、

ただ神に向かう。

神にわたしの救いはある。

(詩編62:2)


わたしの魂よ、沈黙して、

ただ神に向かえ。

神にのみ、

わたしは希望をおいている。

(詩編62:6)


沈黙してあなたに向かい、

賛美をささげます。

シオンにいます神よ。

(詩編65:2)


わたしは魂を沈黙させます。

わたしの魂を、幼子のように

母の胸にいる幼子のようにします。

(詩編131:2)










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