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  • 執筆者の写真元気牧師

5月19日(金)



【聖句】


見よ兄弟共に座っている

なんという恵みなんという喜び


(旧約聖書・詩編133編1節)



【黙想】


当たり前だと思っていたこと、

ごく普通の日常。


それがどんなに大きな幸せか。

どんなにありがたい恵みであるか。



失ってはじめてわかる、と

多くの人が言うけれど、

失う前に気づくほうがいいに

決まっている。


バビロン捕囚の憂き目にあった

イスラエルの人々にとって、

かつて神殿での礼拝は

「当たり前」でした。

しかし異国の地で捕囚としての

日々を過ごすなかで、

彼らは気づかされたのです。


毎週のように神殿で過ごしていた

あの日常が、

兄弟たちと肩を並べて

礼拝堂に座っていたあの日々が、

どんなに眩しく、

愛おしく、かけがえのない

恵みであったか、と。


バビロン捕囚が終わり、

神殿を再建した後、

人々は再び礼拝を再開しました。


その時、彼らは、

兄弟が共に座っている、

こうして礼拝ができる、

ということのありがたさを

頭のてっぺんから爪先まで

全身全霊で味わい知ったのです。


 見よ兄弟共に座っている

 なんという恵み

 なんという喜び



【小さな祈り】


主よ。

目を開いて

見えるようにしてください。

「我が恵み汝に足れり」と

おっしゃったあなたの

恵みが見えるようになりたいのです。

ありふれた日常こそが

宝ものなのです。

朝、目が覚めて

夜、布団に身を横たえることができたなら

こんな幸せはないのです。

主よどうか、

私たちの目をひらいて、

見えるようにしてください。

アーメン。






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