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5月16日(木)

  • 執筆者の写真: 元気牧師
    元気牧師
  • 2024年5月16日
  • 読了時間: 3分


【聖句】


アサは、その神、主の目にかなう正しく善いことを行った。

(歴代誌下14章1節)



【黙想】


「なんでこの聖句!?」って思ったのではありませんか?

たしかにこの聖句そのものからは、

何かを受け取ることは難しいかもしれません。


しかしこの聖句は、考えれば考えるほど、不思議な聖句なのです。


なぜか。

アサ王は、ソロモンのひ孫です。


ご存じの通りソロモンは晩年、

その豊かな富の故に誘惑に陥り、

数多くの美しい異国の女性たちを妻とし妾とし、

彼女たちと共にその国の「偶像の神々」が入ってくることをゆるし、

彼女たちと一緒になって偶像を拝むことさえしました。


それゆえに王国は分裂したのです。


ソロモンの子、つまりアサの祖父であるレハブアムも、

その子、つまりアサの父であるアビヤも、

ソロモンと同様、主なる神からその心が離れていました。


歴代誌下13章に記されているアビヤの言動は、

一見すると信仰的に聞こえますが、

おそらくこれは見掛け倒しのパフォーマンスだったのでしょう。


聖書はアサの父アビヤについてこう言っています。


・・・・

アビヤムは父がかつて犯したすべての罪を行い、

彼の心は父ダビデの心のようには、

彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。

・・・・



アサの曾祖父も、祖父も、父親も、

三代にわたって主の目に悪とされることを行っていたのです。


だとするとですよ。

不思議に思いませんか。


どっぷりと偶像礼拝と不信仰に陥っていた父祖たちの中で

なぜ「アサは、その神、主の目にかなう正しく善いことを行」うことができたのでしょうか?


考えられる可能性が一つあります。


アサのそばに、

「誰か」がいたのです。


偶像礼拝に心痛め、不信仰の習慣に抗い、

心の内に主への信仰を守っていた「誰か」が。


たぶん、幼い頃のアサの傍らに常にいて、

主への信仰の素晴らしさと、

主に対する忠誠の大切さ、

そして、父祖ダビデ王と神様の祝福された関係を

ねんごろに語り聞かせることができた「誰か」だと思います。


いったいそれが誰かは分かりません。


聖書に名の記されている彼に近しい周辺の人々は、

皆一様に偶像礼拝者でした。


いったい誰なんでしょうね。


確かなことは、その「名も知られぬ誰か」が

幼いアサに主への信仰を教えたのだということです。


ここから私たちは、

「伝えること」の大切さを受け取りたいと思うのです。


その名もなき誰かの証は、

ソロモン以降の不信仰の家系にすら打ち勝ったのです。


きっと神様が、真実の証の言葉を大きく用いてくださったのです。


歴史に名を刻む必要などありません。

神様が受けとめてくださいます。

そしてあなたも「アサに信仰を証した誰か」として用いられるのです。






 
 
 

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