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  • 執筆者の写真元気牧師

4月20日(木)



【聖句】

その日には、あなたがたは

わたしの名によって

願うことになる。

わたしがあなたがたのために

父に願ってあげる、

とは言わない。

父御自身が、あなたがたを

愛しておられるのである。

(新約聖書・ヨハネによる福音書16章26,27節)




【黙想】


キリスト者はよく、

祈りの最後に、

「この貧しい祈りを…」と言います。

「このつたない祈りを…」と言います。

「この足らざる、

 不十分な祈りを…」と言うのです。


もちろんこれらは

偽りのない真実の言葉だと思いますし、

神さまの御前に

謙遜に身をかがめてささげる思いの

こもった言葉だと思います。


こんな不十分で足りない

欠けの多いわたしの祈りを、

イエスさまを通して捧げる。


わたしの貧しい、

取るに足りない祈りを、

イエスさま、どうか、

父なる神様のところに

お取りつぎいただけますか…。


いわば、あなたは、

王宮の外に立って、

イエスさまに、

貧しい祈りを預けて、

イエスさまから

父なる神様にお渡ししてもらう。


そんな思いを持っては

いないでしょうか。


私たちの自分自身の感覚からすれば

そう思うのも無理はないと思います。


けれども果たして聖書は

イエスさまご自身は、

そんなふうに教えているでしょうか。


イエスさまはこう言われました。


 その日には、

 あなたがたはわたしの名によって

 願うことになる。

 わたしがあなたがたのために

 父に願ってあげる、とは言わない。

 父御自身が、

 あなたがたを愛しておられるのである。


おわかりでしょうか。

わたしたちは、

イエスさまの御名によって祈るんです。


イエスさまが、

神の子が、

わたしの名前で祈っていいよ、

と言ってくださっている。


あなたの祈りは、

わたしの祈りだと言ってくださる。


わたしの名によって、

あなたが、

あなた自身が直接、

父なる神に祈っていい、

と言ってくださっている。


わたしがお父さんに伝えておくよ…

そうではありません。


なぜですか。


 父ご自身が、

 あなたがたを

 愛しておられるからである。


あなたにとっては

貧しい祈りでも、

人からしたら

取るに足りない祈りでも、

あなたを愛しておられる

天の父にとっては、

それがそんな言葉であれ、

あなたの心の込められた言葉は、

嬉しい、喜ばしい、

愛おしいものなのです。


いいですか。

自分の祈りを、

自分で聞いているから、

つまらないものに聞こえるのです。

自分の耳など無視して、

あなたを愛してやまない、

あなたのことを

本当に愛おしくてしょうがないと

思っておられる

父なる神様に祈ってください。


あなたの祈りを、

自分の目ではなく、

神さまの眼差しでとらえてください。


自分の義にたよらず、

イエスさまの御名によって、

イエスさまの義を握って、

神さまの子どもとして

祈ってください。


すると祈りが、

祈ることそのものが、

喜びとなり、

慰めとなります。


きっと、イエスさまが

なぜ三度の召しよりも

祈ることを楽しみとされたかも

少しずつ見えてくるのです。






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