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  • 執筆者の写真元気牧師

4月16日(火)



【聖句】


わたしが目を留める者は、

へりくだって心を砕かれ、

わたしのことばにおののく者だ。


(イザヤ書66章2節・新改訳)



【黙想】


心砕かれることは気の進まないことです。

でも、わたしたちはあまりにもかたくなで

自意識過剰で、

(弱いくせに実は)自信家で、

目も耳もふさがれているので、

砕かれることなしには

主の栄光の現れを見ることはおろか

気づくことさえできません。


砕いてください、と祈ることは気が進みません。

でも、砕かれないと、味わえない信仰の領域があるのも確かです。


自分の心の内にあふれかえっている言葉を

まるごとそぎ落として、

主の御言葉だけを握って踏み出していく。


あの日、主の御言葉に従って

舟の右側に網をおろした彼のように。


あの日、

湖の真ん中の舟から降りて、水の上に足を踏み出した彼のように。



そして彼は奇跡の大漁を目撃し、

彼は水の上を歩き、

彼は、主の栄光を味わい知りました。



砕いてください、と

祈ることは気の進まないことです。


でも、砕かれないと見えないものがあるのです。


「瞬きの詩人」と言われたあの人の

祈りを思い出します。



 み神のうちに生かされているのに

 自分ひとりで生きていると

 思いつづける心を

 砕いて砕いて砕きたまえ

 

 み神に深く愛されているのに

 ともに生きる人を真実に

 愛し得ない心を

 砕いて砕いて砕きたまえ


 み神に罪を赦されているのに

 他人の小さなあやまちさえも

 赦し得ない心を

 砕いて砕いて砕きたまえ






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