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  • 執筆者の写真元気牧師

12月31日(土)



【聖句】


イエス・キリストは、

きのうも今日も、

また永遠に

変わることのない方です。


(新約聖書・ヘブライ人への手紙13章8節)



【黙想】


家族で紅白歌合戦を見て、

年越蕎麦を食べて、

特別に夜更かししながら

兄弟ですごろくや

トランプに興じて

過ごした子ども時代の

大晦日も今は昔。


牧師となってからは

元旦礼拝の御用のため

田舎に帰ったり、

大晦日らしい!?何かを

することもなくなりました。


毎年、年越しは

礼拝説教準備の最中。


どこかで花火があがったり、

初詣客が通りを

行き交ったりする音を

遠くに聞きながら

過ごしています。


今はどうか知りませんが、

昔は大晦日になると

テレビで

いろいろな歌手や芸能人が

カウントダウンライブなどを

している様子が

流れていました。


世界各地の有名観光地で

賑やかに新年を祝う様子も

映っていた気がします。


わたしの実家はというと、

昔は、年越しが近づくと

父親がチャンネルを

NHKの「ゆく年、くる年」に変えるのです。


騒々しい、けたたましい

画面が一変、

静謐な雪の永平寺などが

映し出される。


ただ静かに、

カウントダウンも何もなく

ひっそりと、

気づいたら年を越している。


新年を迎えたぞ!という

押しつけがましい実感ではなく

何やら浮かれた感情とも違う

妙に落ち着いた、

何も変わらない、

しかし、

すべてが新しい、

子どもながらに、

なんとも言えない

真新しい気持ちになったことを

今でもよく覚えています。



今日は大晦日。


あなたはどのように過ごし

どのように新しい年を

お迎えになるでしょうか。


賑やかに、もいいでしょう。

早々に寝床に入って、

それもまたいいでしょう。


ゆく年。くる年。

期待もあれど、

一抹の不安もまた。


いぜんある方が静かに

こうおっしゃいました。


衣替えをするたびに、

来年、またこの服を

出すことができるか、と思う。


桜を見るたび、

来年も見られるか、と思う。


もしかしたら、

晴れがましいお正月にも、

そんな思いを禁じ得ない

瞬間があるかもしれません。



兄弟姉妹。


ゆく年を思うにつけ、

くる年を思うにつけ、

すべての思いが

イエス・キリストに流れ着くように。


 イエス・キリストは、

 きのうも今日も、

 また永遠に

 変わることのない方です。


この方に結ばれていよう。

年を越えるときも、

死を越えていくときも、

この方の手を握っていよう。


さあ、安心して

新しい年を迎えよう。


もう一度、

何度でも。


 イエス・キリストは、

 きのうも今日も、

 また永遠に

 変わることのない方です。


アーメン!



【小さな祈り】


天の父よ。

2022年の大晦日、

どうか私が、

永遠に変わることのない

イエス・キリストを

忘れて過ごすことが

ありませんように。

誰と過ごすにせよ、

一人で過ごすにせよ、

楽しさのあまり、

孤独のあまり、

あなたを置き去りに

してしまうことが

ありませんように。

あなたを思わず

罪を悔いず、

恵みを数えず、

御前に静まらずに

一日を、

この年を、

慌ただしく終えることが

ないように。


父よ。

感謝します。

すべてに感謝します。

*あなたの言葉で

 ぜひたくさんの感謝を

 主にお伝えください。

アーメン。












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