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  • 執筆者の写真元気牧師

12月28日(水)



【聖句】


わたしたちが

誠実でなくても、

キリストは常に

真実であられる。


(新約聖書・テモテへの手紙二2章13節)



【黙想】


信仰の父と呼ばれる

アブラハムという人が

旧約聖書に出てきます。


神様はアブラハムを選び、

こう約束なさいました。


 わたしはあなたを

 大いなる国民にし

 あなたを祝福し、

 あなたの名を高める

 祝福の源となるように。

 (創世記12章2節)


アブラハムは

その主の約束を握りしめ

旅立ったのです。


そのようにして

約束の地に到着した

アブラハムでしたが、

その地方に

飢饉が起こると、

(無理もないですが)

心配になってゆたかな

エジプトに下っていき

難を逃れようとします。


ただ、心配や恐れから

行動をとると、

心配や恐れが増幅します。


アブラハムは

自分の妻サラが美しいので

エジプト人たちが

自分を殺して

サラを奪おうとするのではと

心配になりました。


そして妻に「妹です」と

偽ってほしいと懇願します。


そしてこのことが

さらに大きなトラブルの

もとになっていくのです。


なんと無様な姿でしょう。

主の約束はどこへ?

主への信仰、

召しへの誠実はどこへ?



しかしみなさん、

ここからがすごい。


神様はそんな

アブラハムのために、

エジプト王室に

御手を伸ばし、

アブラハムとサラを救い出し、

彼らにエジプトの

財産すら与えて、

もといたところに

導いてくださったのです。


アブラハムは二つのことを

痛いくらい

味わい知ったはずです。


一つは、

自分の不信仰と不誠実。

気づかぬうちに、

シンコウによってではなく

シンパイによって

行動していたこと。


そしてもう一つは、

自分が誠実でないときでも、

主は常に真実であられる、

ということです。


もちろん

「だから自分は適当でいい」

というわけではありません。


ただ、

私たちの小さく

儚い真実が、

主の大きな真実によって

すっぽり包まれ、

支えられているということを

受けとめたいと思うのです。


裏切ったペトロを、

なおも探し出し、

赦して愛して、

倒れたところから

もう一度やり直せばいいと

励ましてくださった

イエス・キリスト。


あなたも、

倒れたところから

もう一度やり直せば

良いのです。


わたしたちが

誠実でなくても、

キリストは常に

真実であられます



【小さな祈り】


主よ、

あなたの真実が

あなたの憐みが

私を支えてくださいます。

あなたがわたしに

約束してくださったことは

必ず成就します。

あなたが約束を

守られる方だからです。

どうか私が、

あなたの約束を忘れて

心配や恐れに

追い付かれ、

追い立てられて

安易にエジプトへ

くだることがないように

助けてください。

*あなたの言葉で祈りましょう。

アーメン。





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