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  • 執筆者の写真元気牧師

12月14日(水)




【聖句】


わたしの生きる力は絶えた

ただ主を待ち望もう。


(旧約聖書・哀歌3章18節)



【黙想】


悲しみの預言者、

嘆きの預言者、

涙の預言者エレミヤ。


紀元前587年に起きた

エレサレム陥落。

その地獄のような、

悪夢のような出来事を

目の当たりにた彼は、

嘆き、悲しみのうちに

涙を流しながら

主に向かって叫びました。

それが『哀歌』です。


すべてを失う経験の中で

彼はこう言いました。


 わたしの魂は平和を失い

 幸福を忘れた。

 ・・・

 わたしの生きる力は絶えた。

 (哀歌3章17節)


力なくつぶやくような

かろうじて絞り出した

最後の言葉のように思います。


しかし実は、これが

彼の最後の言葉では

ありませんでした。


聖書の言葉を

見てみましょう。


 わたしの生きる力は絶えた

 ただ主を待ち望もう。


ただ主を待ち望もう。

ただただ、

それしかできない。


まだあれができる。

これができる。

まだこんな方法が

残っているじゃないか。


・・・

もう何もないのです。

なんにも。


しかし

そのとき行きついた先は

絶望ではありませんでした。


希望でした。

わたしの生きる力は

絶えてしまった。

だからもうおしまいだ、

ではありませんでした。


だから、

ただ主を待ち望もう。


すべてを失った後、

なおもそこに残されている

ただ一つの道があります。


ただ主を見上げ、

ただ主を待ち望む。


使い古された言葉でしょうが、

まさに、ここにこそ

「希望」があります。


あなたには、

まだ道が残されています。


ただ主を待ち望む、

希望の道。



【小さな祈り】


ああ主よ。

すべてのものが

取り去られるとき、

悪夢のような

日々を生きるとき、

「もう終わりだ!」と

叫ぶかわりに

大声で言わせてください。

 わたしの生きる力は絶えた。

 ただ主を待ち望もう、と。

あなたは必ず

応えてくださいます。

あなたは必ず道を備えて

くださいます。

*あなたの言葉で祈ってください。

アーメン。



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