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  • 執筆者の写真元気牧師

11月23日(水)



【聖句】


はっきり言っておく。

一粒の麦は、

地に落ちて死ななければ、

一粒のままである。

だが、死ねば、多くの実を結ぶ。


(新約聖書・ヨハネによる福音書12章24節)



【黙想】


旧約のモーセにせよ

新約のペトロやパウロにせよ、

神様の恵みを深く味わい知り

神様の御業のために

豊かに用いられた人は、

必ずその前に

「死」を経験しているのです。


神は足し算の前には

必ず引き算をお与えになる、と

ある人は言いました。


これをもじって言えば、

神は復活の前には十字架を与える。

神は用いようとする者に、

前もって死を与える、とも

言えると思います。


それがどんなにすばらしものであれ

自分の計画や理想、

自分の正義感や

自分の信心深さに死ぬこと。


そして神のご計画、

神の義、神の真実のうちに

復活すること。


信仰の父アブラハムが

約束の子イサクを授かったとき。


主は、アブラハムの内に

子をもうける可能性が文字通り

ゼロになるまで、じっと

待っていたのです。


そしてアブラハムが、

自らの内側の可能性によってではなく、

名実ともにただ信仰だけで

生きるものになったとき、

約束の子イサクが与えられたのでした。


このことを使徒パウロは

こう言っています。


彼は希望するすべもなかったときに、
なおも望みを抱いて、信じ、
「あなたの子孫はこのようになる」と
言われていたとおりに、
多くの民の父となりました。

ローマの信徒への手紙4章18節

兄弟姉妹、

信仰とはあなたの内に残された

希望のカケラを探して、

育てていくことではありません。


信仰とは、

自分自身をではなく、

神を信じることです。


ですから、たとえ自分の内に

希望のカケラすら見当たらないとしても、

神様を信じることには

なんの差し支えもないはずです。


むしろ、

内なる希望が尽きたときこそ

信仰が産声を上げるときなのです。



【小さな祈り】


主よ。

死ねば多くの実を結ぶ、と

あなたはおっしゃいました。

わたしが実を結ぶ者となるために

わたしが死ぬべきものに死に、

自分を信頼しようとする誘惑に死に

ただあなただけを頼りに

生きる者としてください。

私はあなたの麦の種です。

いつまでも自分自身を

握りしめないで、

地に落ちて死ぬことを通して

あなたが意図しておられるわたしに

復活することができますように。

*あなたの言葉で祈りましょう。

アーメン。




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