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  • 執筆者の写真元気牧師

11月20日(日)



【聖句】


わたしの兄弟たち、

いろいろな試練に出会うときは、

この上ない喜びと思いなさい。


(新約聖書・ヤコブの手紙1章2節)




【黙想】


試練がどうして

この上ない喜びでありうるか。


私達はそのように思うはずです。


自分の思う通りに生き、

自分の願い通りの道を行き、

自分の望む通りの場所に

行きつくこと、

これが私たちの人生の

主な目的であるならば、

「試練」は

その妨げとなるもの、

道の上の障害物に過ぎないものであり

ないほうが良いものであって、

喜ばしいものではないでしょう。


もしそうなら、

私達が試練に会ったとき、

そこで私達が考えることは、

一分一秒でも早く、

そこから抜け出すことだと思います。


これが私たちの生き方であるなら

きっと、私達は常に不安で、

常におどおどしていて、

幸せを味わっているときでさえ

恐れに追い付かれそうで、

試練に会えば

不安と不満に満たされることでしょう。



しかしもし、

私たちの人生の目標が、

ある信仰問答の問1にあるように、

「神を知ること」であるならば、

状況は一変するのです。


試練それ自体は、

喜ばしいことではありません。

苦しく、辛いものです。


しかし、

試練の中で、苦しみの中で、

私達は深く神と向き合います。


試練は、

神様と私たちの関係を

より親密なものとする可能性を

秘めています。


ダビデは言いました。


 苦しみに会ったことは、

 私にとってしあわせでした。

 私はそれであなた(=神)の

おきてを学びました。

(旧約聖書・

  詩編119編71節[新改訳])


苦しみの中で、

試練の中で、

彼は聖書の御言葉を深く悟り、

神の御心を新しく聞き取ったのです。


それゆえに、

苦しみは幸せ、ではなく、

苦しみに会ったことは

私にとって幸せなことだった、

と告白したのです。


兄弟姉妹、

試練それ自体は

嬉しいことではありません。


けれども、

私たちの人生の目的が、

最上の喜びが、

神さまと出会い、

神様をより深く知ることであるならば、


聖書が言うように、

試練に会うことは

この上もない喜びとなりうるのです。


だから、こう祈りましょう。



【小さな祈り】


私の喜びであり、

私の命である主よ。


わたしはなおしばし、

この試練の中で

のたうち回ったり、

思い悩んだり、

苦しんだりするでしょう。


しかし、主よ、

私は今、

もちろん、早くこの試練の日々が

過ぎ去るようにとも願いますが、

それ以上に、

この試練の日々の中で、

あなたを深く知ることを望みます。


「苦しみに会ったことは、

 わたしにとって幸せでした。」


私の唇が、嘘偽りなく、

この言葉を告白できる日が来たら

その時、あなたのしもべは

今日のこの聖句から、

新しい、美しい響きを

聞きとることでしょう。

*あなたの言葉で祈りましょう。

アーメン。





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