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  • 執筆者の写真元気牧師

11月15日(水)



【聖句】


わたしは言う

「わたしの生きる力は絶えた

ただ主を待ち望もう」と。


(旧約聖書・哀歌3章18節)



【黙想】


この言葉の直前には

「わたしの魂は平和を失い

 幸福を忘れた」

とも書かれています。


預言者エレミヤ。

苦悩の預言者とも

涙の預言者とも

嘆きの預言者とも

言われています。


「わたしの

 生きる力は絶えた。」


これは本音だと思います。


追い詰められ

深い穴倉の底で

途方に暮れている。


その人が言うのです。


「わたしの生きる力は絶えた

 ただ主を待ち望もう。」


自分の内側に望みがない。

生きる力が絶え果てた。


だから、

ただ主を待ち望もう。


希望がないのに、

希望がある状態。


不思議な状態。


使徒パウロが、

信仰の父アブラハムを

言い表した言葉を

思い出します。


 彼は希望するすべも

 なかったときに、

 なおも望みを抱いて、

 信じた。

 (ローマ4章18節)


不思議な言葉です。


望みがないのです。

それでもなお、

望みを抱く。


ああ、パウロの

別の言葉も思い出しました。


 わたしたちは

 耐えられないほど

 ひどく圧迫されて、

 生きる望みさえ

 失ってしまいました。

 わたしたちとしては

 死の宣告を受けた

 思いでした。

 それで、自分を

 頼りにすることなく、

 死者を復活させてくださる

 神を頼りにするように

 なりました。

 (2コリント1:8-9)


たぶん、

エレミヤの言葉と

パウロの言葉は、

ソプラノとテノール

のように美しく響き合う。


自分を頼ることが

できなくなり、

自分の内側の希望に

すがることが

できなくなる。


生きる力が耐える。

そのとき、

くっきりと、

「神を信じる」ようになる。


自分を信じ、

神様には、少し

お力添えをいただく。


自分の力で生き、

神様には、少し

手を添えていただく。


そういう信仰生活

ではなく、


もうすべてを

神様からいただく他ない。



辛く、苦しく、

生きる望みが耐え、

死の宣告を受けたようだ、

という思いを禁じ得ない、

そんなあなたと共に

祈りたい。



【小さな祈り】


神様、

今、わたしには

「あなた」が必要です。


今までは、

あなたから

何かをいただきたかった。

自分で歩けたから、

少し支えてほしかった。

自分で出来たから

少し力をいただきたかった。

自分の仕事があったから

その仕事を続けることが

できさえすればよかった。

自分で生きられたから

少し、

(ときには、すごく、ですが)

サポートが欲しかった。


でも今は違います。

私にはいま、

あなたが必要なのです。

私にとって

何が助けなのかもわからず

どう生きればよいかも

分からず、

たとえそれが

分かったとしても

立ち上がる気力が

枯れているのです。


もう自分を頼れません。

もう誰にも

何にも、頼れません。


自分に裏切られました。

人に裏切られました。

確かだと思っていたものが

ぜんぜん

あてになりませんでした。


主よ、

わたしの生きる力は絶えました。

ただ、あなたを、待ち望みます。


どうかお救いください。

望みなきときの望み、

復活の主、

イエス・キリストの御名によって。

アーメン。





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