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  • 執筆者の写真元気牧師

11月10日(木)



【聖句】


私たちは、私たちを愛してくださった方によって、

これらすべてのことの中にあっても、

圧倒的な勝利者となるのです。


(新約聖書・ローマの信徒への手紙8章37節)



【黙想】


これらすべてのこと、とは何でしょうか。

聖書にはこう記されています。


 患難ですか、苦しみですか、

 迫害ですか、飢えですか、裸ですか、

 危険ですか、剣ですか。


これは使徒パウロが日々味わっていることでもあったでしょう。

彼は自分自身の置かれている境遇、

また自分自身の姿について、

さらに続けてこう言っています。


 「あなたのために、私たちは一日中、

 死に定められている。

 私たちは、ほふられる羊とみなされた。」

 と書いてあるとおりです。


すこし分かりづらいかもしれませんが、

要するに彼は自分自身のことを、

いけにえにされるために引かれていく小羊に重ねて、

死と隣り合わせの日々であり、

人間的に見れば弱く小さな存在である、

と言っているのです。


しかしそのような自分自身が、

救い主、勝利の主イエス・キリストとひとつにされている!

イエスさまを復活させた力が、

わたしのうちにも宿っている!


これがパウロの確信でした。


「これらすべてのこと」のただなかで、

自分の力でもがくことをやめ、

自分の無力さを認め、

だからこそ全面的に主のチカラに頼る。

そのとき、そこに神の力が宿るのです。


「これらすべてのこと」に取り囲まれ、

それらすべてのことに

自分の力で抗おう、乗り越えようとする。

本当にそれは地獄です。


でもどうすれば

圧倒的な勝利者になることができるの?


いや「なる」のではありません。

もうなっているのです。


私達は「勝利者になろう」としてはなりません。

勝とうとするから負けるのです。

勝ちたいと思うから、敗残兵のような自分ばかりに注目してしまうのです。


あなたの問題は、

何かに負かされていることではなく、

自分が『圧倒的な勝利者』とされていることを見失っていることです。


そうであるなら、

手始めにすべきことは次の祈りと告白です。



【小さな祈り】


天の父よ。

私は今、御言葉によって

自分が何者とされているかを思い出しました。


私は今、主イエスの御名によって

本当の自分を、取りもどします。


わたしは、どのような状況の中にあっても、

圧倒的な勝利者です。


どんな困難も、

主イエスを打ち負かすことはできない。

どんな難病も、

主イエスをむしばむことはできない。

どんな悲しみも、

主イエスによって示された神の愛を

消し去ることはできない。

だから、主イエスと一つの体にされ、

主の命に生かされている私たちは、

私たちを愛してくださった方によって、

これらすべてのことの中にあっても、

圧倒的な勝利者となるのです。

*あなたの言葉で信仰を告白し、

祈ってください。

アーメン



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