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  • 執筆者の写真元気牧師

10月5日(水)



【聖句】


目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。

わたしの助けはどこから来るのか。

わたしの助けは来る

天地を造られた主のもとから。


(旧約聖書・詩編121編1-2節)



【黙想】


聖地エルサレムに向けて巡礼に出かけようとしているのです。

準備した荷物をロバの背に括り付け、

靴ひもをきつく締め、

まなじりを決してゆく手を見やる。


すると行く手には険しい山々が横たわっているのです。

山を越えていく。

身を隠しやすいルートには当時、

山賊がいました。

荷の多い巡礼者を狙う追いはぎがいました。

寝込みを襲われることもありました。

追いはぎだけではない、

獣たちに襲われることだってありました。


そのような「山々」を仰ぎながら、

あらためて彼は自分自身に問うのです。


「わたしの助けはどこから来るのか」と。


この問いは、

分からないから聞きたい、という類の問いではありません。


彼は自分自身に問い、

自分自身に答えることで、

言い聞かせ、確認し、刻み付けようとしているのです。

知っていることを。

信じていることを。

わたしの助けはどこから来るのか。 わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから。

山々をもお造りになった方。

すべてをその御手のうちに統べ治めておられる主から、

わたしの助けは来るのだ。


山々からさらに、天地の造り主へと眼差しを移して、

主を仰ぎ、主を信頼して、踏み出していく。


思えば、私たちが週ごとに守る礼拝も、

日ごとに捧げる祈りも、

まさにこれと同じことなのです。

わたしの助けはどこから来るのか。 わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから。

祈る。礼拝する。

それはわが魂に、

わが肉体に、

わたしの骨の一本一本、

すべての細胞一つ一つに、

私の救い主を、造り主を、

わたしの主なる神を思い起こさせ、

そのお方から、わたしの助けが来るということを

あらためて刻み付けることです。


そして主と共に踏み出してく。

「安心して行きなさい」との主の御声を全身全霊で受けとめながら。



最後に、【ちいさな祈り】に代えて、

今回も私が「奇跡」を必要としていたときに歌い続けていた

ワーシップソングの歌詞を紹介します。



【小さな祈り】


「わたしは奇跡を信じる」


私は目を上げ 山を見上げる

私の助けは どこから来るのか

山よりはるかに 偉大な神の

奇蹟を期待し 賛美を献げる


私は信じる 奇跡は今でもあると

私は信じる 主イエスを 奇跡の神を

賛美の中におられる御方に

栄光と誉れ 賛美献げる



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