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  • 執筆者の写真元気牧師

10月30日(日)



【聖句】


見よ。わたしは、

すべての肉なる者の神、主である。

わたしにとってできないことが

一つでもあろうか。


(旧約聖書・エレミヤ書32章27節[新改訳])



【黙想】


神様の約束を聞く。

神様の御言葉によって導かれた

信仰の言葉を聞く。


しかし二言目にはすぐ

「でもさあ…」

「無理とちがう?」

「誰がそれをするの?」

「いくらかかるの?」

とつぶやく人がいます。


素朴に、こう思います。

もったいない、と。


人が犯す罪は数あれど、

私達が気づかないで犯す罪の際たるものは

「神を小さくしてしまう」罪ではないでしょうか。


神様は私たちの目の前で、

大きなこと、

おどろくべきことをなさりたいのです。


神様は、あなたに、私達に、

聖書の時代さながらの御業を見せたいのです。


でも私たちが、

神を小さくしている。

神様に大きなことを願わないでいる。


そうではありませんか。



昔々、ある貧しい牧師が、

よそで奉仕をしたおかげでしょうか、

めったにないことですが、

珍しくそれなりのお金を手にして帰ってきました。


彼は普段、家族に貧しい暮らしをさせている分、

このときばかりはと、

子どもたちを呼び集めて言いました。


「父さんは今日、お金をたくさんもっている。

普段、お前たちに好きなものをかってやれない分、

今日はなんでも好きなものをいいなさい。

買ってあげるよ。」


子どもたちは目を輝かせて丸くなり、

相談し、

そしてお父さんのもとに来てこう言いました。


「お父さん、僕たちは、ポテトチップスが食べたい。」


みなさん。

たしかに彼らはポテトチップスが食べたかったのでしょう。

たまにしか食べられないものだったのでしょう。


でも、お父さんは、彼らの願ったことが

とてもとても小さいことだったので、

いたく悲しかったそうです。


「ああ、普段こんなにもひもじい思いをさせているのか」という意味でではありません。


心の底から「なんでも願いなさい」と言ったのに、

父は、子どもたちに「与えることができる」喜びに満ち溢れていたのに、

子どもたちが、小さなことしか求めなかったからです。



兄弟姉妹。

私達は、求めることにおいて、

祈り願うことにおいて、

父なる神を悲しませていないだろうか。

祈りにおいて、

神を小さくする罪を犯してはいないだろうか。



【小さな祈り】


天の父、全能の神よ。

あなたを、わたしの常識の中でとらえ、

あなたを、わたしの理解の中に閉じ込めていたのです。

 見よ。わたしは、

 すべての肉なる者の神、主である。

 わたしにとってできないことが

 一つでもあろうか。

主よ、あなたがおっしゃるとおりです。

あなたに出来ないことは何一つありません。

主よ、どうかこの

理屈をこねくり回すような信仰を、

知性で納得できるまで行動に移せない信仰を、

造りかえてください。

マリアが天使の言葉を受け入れて立ち上がった

あの信仰を、私にもください。

*あなたの祈りをまっすぐ短く、ささげましょう。

アーメン。




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