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  • 執筆者の写真元気牧師

10月19日(水)



【聖句】


愛がなければ、無に等しい。


(新約聖書・コリントの信徒への手紙Ⅰ13章2節)



【黙想】


最近、「そこに愛はあるんか?」というテレビCМの言葉を、妙に耳が拾うのです。


コリントの町にあった教会。

そこには聖霊の力が鮮やかに現されていました。


しかし教会の兄弟姉妹は、

本来は隣人のため、教会全体の益のために用いられるべき聖霊の賜物を、

自分の益のため、自分の評価のために誤って用いてしまう傾向がありました。


そんな彼らに対して使徒パウロは、まさに、

「そこに愛はあるんか?」とぶつかっていくのです。


たとえどんなに優れた力を持っていても、

どんなに立派な行いをしていても、

山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、

人のために命を懸けるような偉業を成し遂げたとしても、

そこに愛がなければ無に等しいのだ、と。


そして、パウロはストレートに、

「愛を追い求めなさい」と命じるのです。



兄弟姉妹、

「愛を追い求めなさい」ということは、

愛は、熱心に追い求め、願い求めないといけないものだということです。

言い換えれば、愛は、私たちの内に生来備わっているもの、

ほうっておいても溢れてくるものではないということです。


愛は、あなたの内側から湧いてくるものではない。

それは、神様から与えていただくもの。


厳しい言葉かもしれません。

子どもの喜ぶ顔が見たくて愛情込めてお弁当を作る。

帰ってきた子どもが「美味しくなかった」「食べたくない」と言う。


悲しいのは、そのとおり。

残念なのも、そのとおり。


しかしもしそこで「怒り」や「憎しみ」が生まれてくるとしたら。


そこに愛はなかったのです。

そこにあったのは「自己愛」だったのです。

自分が喜びたかっただけなのです。


厳しい言葉かもしれません。

あなたを傷つけたかもしれません。

反論もあるかもしれません。


でも、やっぱり、正直、身に覚えがある。


私たちの内側にある「愛」は、

聖書のいう愛とは似て非なるものなのです。


だから・・・

神に祈り、愛を追い求めたいと思います。

素直に、愛のないことを、認めて。



【祈り】


主なる神様。

私のうちに「愛」がないことを、

認めざるを得ません。

主よ、

あなたが私を愛してくださるその愛が

わたしの内にもっとリアルになり、

その愛がわたしを、

愛することへと駆り立てますように。

愛したいと願い、

愛することに憧れ、

愛することを喜びとしますように。

私が、愛されることよりも愛することを求めるように、

あなたの永遠の愛で私をとらえてください。

*あなたの言葉で祈りましょう。

アーメン。



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