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  • 執筆者の写真元気牧師

1月16日(月)




【聖句】


彼らはその地の住民に

恐れを抱きながら、

その昔の土台の上に祭壇を築き、

その上に焼き尽くす献げ物、

朝と夕の焼き尽くす献げ物を

主にささげた。


(旧約聖書・エズラ記3章3節)



【黙想】


70年に及んだバビロン捕囚。

神の民イスラエルの人々は

ようやく解放され、

帰還民の第一団が

神殿を再建するために

故国に帰ってきました。


彼らはほとんどが

バビロニア生まれの人々であり

エルサレムの都については

父母や先達らに

聞かされていただけでした。


丘の上の町、

美しのエルサレム。

そびえたつ聖なる神殿。

城壁に囲まれた都。


もちろん、

かつてのバビロニアの攻撃によって

焼け落ちてしまったのだということも

聞かされていたでしょう。


しかし心に思い浮かべる都は

それでもなお美しさと威厳、

そして聖性をたたえた町であると

信じていたのかもしれません。


そんな彼らが帰還して

目の当たりにしたのは、

聞きしにまさる町の荒廃でした。


都や城壁は言うまでもなく、

神殿もまた見る影もなく

破壊し尽くされていたのです。


瓦礫を取り除こうにも

どこから手を付けていいかわからない。

どれだけの時間と労力を費やせばよいのだろうか。

皆目見当がつきませんでした。



そんな彼らは、

それではどうしたのでしょうか。


聖書はこう言います。


 彼らはその地の住民に

 恐れを抱きながら、

 その昔の土台の上に祭壇を築き、

 その上に焼き尽くす献げ物、

 朝と夕の焼き尽くす献げ物を

 主にささげた。


三つのことを分かち合いましょう。


一つ目。

彼らはその土地の住民を

恐れていた。


都には、彼らの計画を

妨害しようとする敵がいたのです。


二つ目。

再建のめどは立たず、

なにから手をつけていいか

分からない彼らは、

まず初めに、

祭壇を築いて捧げものをした、

すなわち、主なる神様を

礼拝することからすべてを

はじめたのです。


三つ目。

しかもその祭壇は、

「昔の土台」の上に築かれました。


神殿は瓦礫の山でしたが、

神殿の祭壇の土台は

崩されていなかった。

土台だけはのこされていたのです。


その昔の土台の上に、

先達らの信仰の上に、

彼らは祭壇を築いた。


そして礼拝からはじめたのです。




兄弟姉妹。

なにから手を付ければいいか

分からないとき、

どうかどうか、

礼拝に帰ってきてください。

礼拝することから

もう一度はじめましょうよ。


たとえあなたが、

イスラエルの民と同じように

もう何十年、

教会から、礼拝から

遠ざかっていたとしても、

「昔の土台」は残っている。


「イエス・キリストという

 既に据えられた土台(1コリント3:11)」は

残っているのです。


その土台の上に

もう一度祭壇を築くことから

やり直そうじゃありませんか。



【小さな祈り】


父なる神様。

ボロボロの姿でも、

何も持たずにでも、

ただただ礼拝に

帰ってくることが

できますように。

私自身を

焼き尽くす捧げものとして

あなたの祭壇に

おささげすることが

できますように。

どうか主よ、

忙しさの中にある人、

「礼拝どころではない」と

慌ただしく生き、

混乱と混沌の中に

生きている人に、

だからこそ礼拝に来なさいと

語り掛けてください。

私も、主よ、

苦しい時、

気が進まないときこそ、

声をあげ、

両手をあげて、

主をほめたたえる者と

してくださいますように。

*あなたの言葉で祈りましょう。

アーメン。



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