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  • 執筆者の写真元気牧師

1月15日(日)




【聖句】


戦車を誇る者もあり、

馬を誇る者もあるが

我らは、我らの神、

主の御名を唱える。

彼らは力を失って倒れるが

我らは力に満ちて

立ち上がる。


(旧約聖書・詩編20編8,9節)



【黙想】


主の御名を唱える。


これはなにやら呪文のように

主の御名をブツブツと

つぶやくこととは違います。


別の翻訳では、

呼び求める、

心に留める、

思い起こす、

頼りにする、

当てにする、等々

いろいろな訳が可能な

言葉です。


主の御名を心に留め、

思い起こし、

心に刻み、

呼び求め、唱える。


そして私たちは

力に満ちて立ち上がる、と

聖書は語っています。



こんなことを書くと

何やらいぶかしく思われて

しまいそうですが、

でも事実なので書きます。


以前から思っていることなのですが、

私たちは祈りのとき、

「主の御名を呼ぶ」ということを

すごくなおざりにしているような気がするのです。


主の御名を呼ぶことが

単なる祈りの枕詞みたいに

成り下がっていて、

なんだか主の御名が

軽んじられている気がするのです。


もしかしたら

私たちの祈りに力がないのは、

主の御名を呼ぶことを

軽んじているからではないか、

とすら思う事があります。


主の御名を呼ぶ、

ということそれ自体に

はかり知れない霊的なチカラがあることを、

私たちは自覚すべきです。


ある日の祈りの時、

このことを思い出して、

私は、主イエス・キリストの

「御名を呼ぶ」という祈りに

導かれたことがありました。


何度も、何度も、

イエスさまの御名を呼び、

その御名を唱えつつ、

感謝と信頼を告白する。


そのようにしていると、

不思議に体の内側が

じんわりと熱せられ

何かがこんこんと湧いているような

感覚になりました。


そのときふと思い出したのが、

洗礼者ヨハネを宿した

エリサベトが、

主イエスを宿した

母マリアの声を聞いた時、

エリサベトの胎内の子が

喜び踊った、というエピソード。


こんなこと立派な神学博士さんに聞かれたら

鼻で笑われるかもしれませんが、

私は、私のうちにおられる聖霊が、

主イエスの御名が唱えられるのを聞いて

喜んでおられるのかなあ、

なんて思ったりしました。


すっごい下世話なたとえで言えば、

部屋にバルサンを焚くとき、

まず水を入れますよね。

水を入れると、

中の薬品が反応して

熱くなって、

煙が出てきますよね。


なんか、そんな感じでした。

主イエスの御名と、

私の内にある何かが

反応して熱くなってくる感じ。


なんなんでしょうね。

よく分かりません。


よく分かりませんが、

ちょっと経験を

シェアしておきたいと思ったので。


もしあなたも何か

同じようなことがあったら、

教えてくださいね。


というわけで今日の祈りは、

「主の御名を唱える」

祈りをしてみましょうね。


ゆっくり、

噛んで含めるように

主に向かって祈りつつ

あなたの内に響かせるようにして

祈ってみてください。


※今お時間がなくて

どうしても駆け足で

済ませなくてはいけない方は、

また別の機会にしたほうが

いいと思いますよ☆



【小さな祈り】



わたしの救い主、

イエス・キリスト。

神の独り子、

神の御子、

まことの神にして

まことの人でられる

主イエス・キリスト。

あなたをほめたたえます。

わたしを愛してくださる、

主イエス・キリスト。

私を愛し、

わたしのために

十字架にかかられたお方、

主イエス・キリスト。

十字架で血を流され、

私の罪を贖われた方、

主イエス・キリスト。

感謝します。

あなたを信頼します。

天と地のすべての権能を

さずかっておられる方、

主イエス・キリスト。

世に打ち勝ち、

死を打ち破り、

よみがえられた主、

イエス・キリスト。

あなたを礼拝します。

*このようなな感じで、

続けられる人はあと少し、

続けてみてください。

アーメン。





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