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執筆者の写真元気牧師

6月21日(水)



【聖句】


主よ、憐れんでください

絶えることなく

あなたを呼ぶわたしを。

あなたの僕の魂に

喜びをお与えください。

わたしの魂が慕うのは

主よ、あなたなのです。


(旧約聖書・詩編86編3,4節)



【黙想】


私の魂が慕うのは、

主よ、あなたなのです。


主ご自身を求める。

主からいただく何か、ではない。

主ご自身を慕い求める。


あらためて思います。


信仰とは、

神様との関係性がすべてである、と。


信仰の深まりとは、

知識の増加でも、

知的理解の深まりでもなく、

「関係」の深まりなのだ、と。



ある本を読んでいた時、

印象深い言葉に出会いました。


主ご自身の御業のために

さまざまな奉仕をもって仕えた

何人もの方々の体験記。


目立つ奉仕もあれば、

目立たない、縁の下、

日陰での働きもあります。


人間の目からすると

日の当たらない場所で奉仕していた

ある方の言葉です(原文ママ)。


読みながら、

自分の霊が「アーメン」と叫んでいる

ような感じがします。




背後で仕えることは、
「つまらないんじゃない?」と
よく聞かれますが、
本当はそれができることは
大きな喜びなのです。
自分のいるべきポジションが
分かっていることが大切です。
そして、何より大切なことは、
どこまでも自分とイエスさまとの
関係がしっかりしていることです。
主から言われたことを
そのまま受け取って
従えるかどうかです。
背後で仕える仕事だとしても
イエスさまからの
「これでいいんだよ」という
安心感があるかどうかです。

もう一つ大切なことは、
自分が認められたいという権利を
主の前に放り投げることが
できるかどうかです。
自分がやっている奉仕を
人間がどう見ているかではなく、
主ご自身が自分を
認めてくださっているという
事実を受け入れることが
できるかどうかです。
ここさえしっかりしていれば、
目立たない奉仕はいくらでもできます。








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