12月12日(火)
- 元気牧師
- 2023年12月12日
- 読了時間: 3分

【聖句】
あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、
キリストのために苦しむことも、
恵みとして与えられているのです。
(新約聖書・フィリピの信徒への手紙1章29節)
【黙想】
今朝、たまたま手にとって開いた本の言葉に引き込まれました。
もう500年以上も読み継がれいてる信仰の名著、
『キリストにならいて』の一節です。
少し長いかもしれませんが、
引用してみたいと思います。
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今、天の国を愛する人は多い。しかし、彼の十字架を担う者は少ない。、イエスの慰めを望む人は多いが、しかし苦難を望むものは少ない。すべての人が、イエスと共に喜びたいと望んでいるが、彼のために何かを忍びたいと思う者は少ない。多くの人々は、パンをさくまではイエスに従うが、受難の盃を共に飲もうとする者は少ない。彼の奇跡を敬う者は多いが、彼の十字架の恥にまで従う者は少ない。多くの人は、不幸が来ないうちはイエスを愛している。多くの人々は、何かの慰めを受けている間は、彼を賞賛し、彼を祝する。しかし、イエスが姿を隠し、しばらく彼らを離れると、彼らは不平を言うか、あるいは大いに落胆する。
しかし自分がイエスから受けた慰めのためではなく、イエスのためにイエスを愛する人は、あらゆる苦難と苦悩の時でも、あたかも慰めの絶頂にあるかのようにイエスを賛美する。たとえイエスが、彼らに一度も慰めを与えなくても、彼らは、常にイエスを賛美し、その恵みに感謝したいと望んでいる。
ああ、イエスへの愛が純粋で、自己の利益や愛が少しも混じっていない時の愛は、どれほど強力であろうか。常に慰めを求める者は、すべて雇われた人と呼ぶべきではないだろうか。常に自分の都合や利益だけを図る者は、キリストへの愛よりもむしろ、自分を愛していることを自ら示しているのではないだろうか。
イエスから受けた慰めのためではなく、
イエスのためにイエスを愛する人。
・・・とても深い言葉であると思います。
イエスさまが何かくださるから、愛する。
イエスさまが恵みをくださるから、信じる。
え?何かおかしい!?って思うかもしれません。
でも、粗野な言い方をすれば、
それは贈り物をあてにして愛する、
財産目当てて男性と結婚する、
遺産目当てて老親に優しくする、
これらと何ら変わらないのではないでしょうか。
イエスのためにイエスを愛する。
イエスさまご自身を、愛する。
そのためには、
イエスさまの恵みや、イエスさまの助けを求めるだけでなく、
もっともっと、
イエス様ご自身を慕い求めることが大切なのだと思います。
ある人は言いました。
あなたにとって大切な人っていうのは、
特別な用事がなくても、訪ねていきたくなる人、
特別な用件がなくても、話をしたくなる人、
なんでもないことでも、話せる人なんだよ、と。
胸に手をあててみる。
わたしたちは、用事があるときだけ、
イエスさまのところに行っていませんか。
イエスさまに用件があるときだけ話しかけていませんか。
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