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  • 執筆者の写真元気牧師

10月21日(土)



【聖句】


だから、イエスを通して賛美のいけにえ、

すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。


(新約聖書・ヘブライ人への手紙13章15節)



【黙想】


神様に「賛美」をささげよう、ではありません。

「賛美のいけにえを、絶えず」神に捧げようと言われているのです。


賛美のいけにえ、とは何でしょうか。



新約聖書ヘブライ人への手紙はどちらかというと難解なイメージで

教会ではさほど頻繁に読まれるわけではない書物かもしれません。


それゆえこの手紙が、実は激しい迫害と困難の中で書かれたものであることは

案外知られていないように思います。


信仰ゆえの困難。

信じることをやめ、

集うことをやめ、

祈ることも歌うこともやめれば、

たちどころに迫害はやみ、楽になれるのです。


そのような中で著者は、

信仰に踏みとどまるように力強く励ましつつこう言うのです。


困難の中から、

問題のただなかから、

戦いの真っただ中から、

主に向かって賛美をささげようではないか、と。


平穏なときに讃美歌を歌うことは、

誰にでもできることでしょう。


しかしもし私たちが、

口をついて賛美の歌が出てくるような状況ではない、

困難の中で、苦しみの中で、

試練とたたかいのど真ん中で

それでもなお賛美する、賛美することを選び取るならば、

その歌声は霊的な意味で特別な響きを帯びることになります。


ただの美しい賛美というだけではない、

それはまさに「賛美のいけにえ」となって

主の御耳によりくっきりと、よりはっきりと、

より直接的に、届く響きとなる。


苦しみの中でこそ、涙を流しながら、

「あなたを信頼します」「あなたをたたえます」と歌う。

私たちがこの「賛美のいけにえ」をささげるとき、

私たちは必ず、賛美の力を知ることになります。



身辺が落ち着かないから、

いろいろ忙しく、生活が大変だから、

落ち着いたら礼拝に行きます・・・と言われることがあります。


お気持ちは本当によくわかります。

でも、心を鬼にして申し上げます。


賛美のいえけにをささげに来てください。

礼拝は、余暇で楽しむ「趣味」ではありません。

生きるために、守り捧げるものなのです。


礼拝。苦しい時こそ。


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