【聖句】
主はお答えになった。
「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。
しかし、必要なことはただ一つだけである。」
【黙想】
マルタとマリアの姉妹の家にお入りになったイエスさま一行。
敬愛するイエスさまをもてなすために、
姉のマルタはせわしなく台所仕事。
一方の妹はというと、
イエスさまの足元に座り込んでその言葉に聞き入っています。
キリスト者の方にとっては言わずとしれた光景ではないでしょうか。
この後の顛末も、みなさんご存じではないかと思います。
姉のマルタが、まったく手伝おうとしないマリアに腹を立てるのでしたね。
しかし、その時のマルタの言葉をもう一度見つめてほしいのです。
・・・・
マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」
・・・・
マルタは最初、手伝わないマリアに腹が立ったのでしょう。
しかし次第にそのいらだちが、こともあろうに
マリアを咎めないイエスさまに向かっていくのです。
「主よ、なんともお思いになりませんか!??」
兄弟姉妹。
マリアに腹を立てるということまでは、ある意味では日常茶飯事で
おっとっと、と気づくこともできるかもしれません。
でも、怒りやいらだちがイエスさま、神様に向いていってしまうのは、
実はもうかなり症状が進行してしまっているしるしです。
「なぜこんなにやってういるのに・・・」
「どうしてこんなに祈ったのに・・・」
「私だけが頑張っていて、なんともお思いになりませんか・・・」
立ち止まりましょう。
神様を責めてしまうほど頑張っているのは、
頑張りすぎです。
自分の思う「良い行い、良い奉仕」にとらわれてしまって、
イエスさまそっちのけになっていませんか。
わたしたちは「良い行い」をするために召されているのではありません。
「イエスさまと共に、主の御心に生きる」ために召されているのです。
時には、自分の思う良い行い、良い選択を潔く手放すことも大切です。
周りの人や、神様にいらだちを覚えているなら、すぐにでも・・・。
そして悔い改めて、
主の望まれることを聞き取ってください。
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