【聖句】
わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、
砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。
(新約聖書・マルコによる福音書7章26節)
【黙想】
夏休みの終わりころ、
弟が伊勢に遊びにきました。
久々に会い、いろいろと話をしました。
彼は今、ソロキャンプにはまっているとかで、
いろいろと関東近郊のキャンプ場について教えてくれました。
静岡の海辺のとあるキャンプ場。
写真で見る限り、シーサイドの最高のロケーション。
期待に胸膨らませて出かけていくと、
思った通り最高の景色。
ところが、写真ではわからなかったことが一つ。
海からの風がとても強いのです。
その日は特別その風が強かったのか、
テントを張るのも一苦労。
張ったはいいがいつか飛ばされるんじゃないかとヤキモキ。
結局、あまり楽しめなかったとのことでした。
砂の上に家を建てる。
テントよりはまだマシでしょうが、
ずいぶん危なっかしいですよね。
・・・
わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、
砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。
・・・
聖書においては、
聞くことと、その通りに行うこと(=従うこと)とは、
常にセットです。
聞くだけで行わない人は、
聞いていないのと同じなのです。
考えてみれば当たり前のことですよね。
「車に気を付けて」と言われたのを聞きながら、
車に気を付けずに歩いて車にひかれたら、
聞いていないのと同じですものね。
兄弟姉妹。
聞くとは、聞き従うことです。
御言葉がワカルとは、
自分がカワルことです。
御言葉を聞いても、その通り行わず、
自分の生き方が変えられないなら、
それは聞いていないのと同じ。
何度聞いても同じ。
もっと率直に言えば、
御言葉を聞いても、行わないなら、
その言葉を信用していないのと同じ。
もっと大胆に言えば、
それは、その言葉の主である神に
「あなたは嘘つきだ」と言っているのと
同じなんだとすら言えるかもしれません。
逆に言えば、
私たちが御言葉を聞き、
まっすぐそのとおりに聞き従う、やってみるならば、それは、
何度も立派な信仰告白を大声で唱和することなんかより
はるかに確かで力強い信仰の告白になるのです。
小さなことで、良いのです。
御言葉を行う日に、しませんか。
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