【聖句】
(新約聖書・マタイによる福音書28章20節)
【黙想】
親に連れられて礼拝に行っていた子どものころ。
礼拝説教中に堂々と広げて読んでいてもとがめられない本が一つだけあります。
そう、『聖書』です。
説教中に「堂々と」聖書のページめくりながら、
わたしはまるで小説の結末だけ先に読んでやろうみたいな魂胆で、
マタイ福音書の最後のページを開きました。
そして最後の一行になんて書いてあるか、
ちょっとニヤニヤワクワクしながら読んだのです。
そこにはこう書いてありました。
これがイエスさまの言葉であることは直観で分かりました。
そして私はあのとき、
なんでしょう、それまで感じたことのないような気持ちになりました。
嬉しいとも、不思議とも、安心とも、あたたかいともいえる、
でもなんと表現してもしっくりこないような気持ち。
イエスさまが一緒にいてくださる。
どんなときも、いつも。
この約束の言葉に込められたイエスさまの愛を本能的に受け取ったのかもしれません。
この聖句は、
あれこれこねくり回して議論して解釈して、
なんてことしてはいけない言葉です。
というか、この明々白々な約束の言葉のどこかに、
解釈の幅や議論の余地がありますか?
わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。
わたしたちはこの約束を信じて受け取ればいい。
あなたのおっしゃったとおりになりますように、と受け入れればいい。
イエスさまは嘘つきじゃないです。
イエスさまはわたしたちと共におられるのです。
「世の終わりまで」。
「いつも」。
【小さな祈り】
ならば主イエスよ、
あなたは今日も、いまも、
わたしと共におられるのですね。
そしてこれからも、いつも、
わたしたちと共にいてくださるのですね。
嬉しいです。感謝です!
どうかわたしが、
いつも、あなたの恵み深いお約束を忘れることがありませんように。
忘れやすい私です。
あなたがご存じの通りです。
あなたがご一緒なら、
あなたとご一緒なら、
どこでも、どんなときでも、
大丈夫!わたしは大丈夫です!
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*あなたの言葉で祈りを続けましょう。
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アーメン。
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