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執筆者の写真元気牧師

9月24日(日)



【聖句】


ひとつのことを主に願い、

それだけを求めよう。

命のある限り、主の家に宿り

主を仰ぎ望んで喜びを得

その宮で朝を迎えることを。


(旧約聖書・詩編27編4節)



【黙想】


ダビデは、

たったひとつのことだけを

主に願い求めるのだと言っています。


考えれば考えるほどに、

大胆で思い切った決心ですよね。


・・・・

ひとつのことを主に願い、

それだけを求めよう。

・・・・


じゃあ彼は何を求めるのでしょうか。

こう記されています。


・・・・

命のある限り、主の家に宿り

主を仰ぎ望んで喜びを得

その宮で朝を迎えることを。

・・・・


主の家に宿る。

常に主の御顔を仰ぎ、

主の宮で朝を迎える、

すなわち一晩中、主のそばで過ごすこと―。


主ご自身のそばで、

主ご自身と親しく交わる。


一言でいえば、

「神様との親しい交わり」

あるいは「神様との親密さ」ということだと思います。



伊勢に来たばかりのころ、

急に以前の何倍も忙しくなって

心身にゆとりをなくしていた時期がありました。


そのころ出会った一冊の本があります。

すごく小さくて薄い本。

でも、今でも時折読み返す、

とても印象深い一冊。


チャールズ・スウィンドルという人が書いた、

『全能の主との親しい交わり』という本です。


この本に出合って以来、

私もまた「神様との親しい交わり」を第一にしたいと

願うようになりました。


これこそすべてだと思います。

そしてこの一点から、

力や知恵、勇気や忍耐、

その他のすべてのことが流れ出してくるのです。


・・・・

ひとつのことを主に願い、

それだけを求めよう。

命のある限り、主の家に宿り

主を仰ぎ望んで喜びを得

その宮で朝を迎えることを。

・・・・


私たちはしばしば、

神様からいただく「何か」ばかりを愛して、

神様ご自身から心が離れてしまうことがあります。


神様に仕えるための「奉仕」に心奪われるあまり、

神様ご自身に背を向けるという矛盾を犯します。


気づかぬうちに。



全能の主との親し交わり。

これこそが、すべてなのだと思います。





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