• 元気牧師

9月14日(水)



【聖句】


しかしあなたは罪をゆるす神、

恵みあり、あわれみあり、怒ることおそく、

いつくしみ豊かにましまして、

彼らを捨てられませんでした。


(旧約聖書・ネヘミヤ記9章17節[口語訳])



【黙想】


乳癌を患いながらもその闘病生活を赤裸々にブログに綴り、

死の間際まで発信を続けた元アナウンサーの方がいました。


ある投稿の中で、彼女が

とても印象深い言葉を使っていたのを

私は今でも忘れることができません。


私は痛み止めを飲むのが嫌で、 でも、癌の痛みで限界を感じて、 ようやくようやく薬を飲んだとき、 身体の痛みが和らいで、 なんだかわからないけれど、 「許されていく 」感覚がしたのです。 そのときの痛みから 解放されていく 「 和らぎ 」が今でも忘れられません。

この時の投稿には、

自分がもっと体を大事にすればよかった、

私が別の病院でも見てもらえばよかった、

あの時の診断を私が信じなければよかった、

あのとき、私が…あの時、私が…と、自分を責め、

自分のせいで辛い思いをさせている人たちに対する

自責の念にさいなまれてきたことを告白していらっしゃいました。


痛み止めを飲まずに、

その痛みを味わい、痛みに耐えること、

それがせめてもの贖罪なのだと、自分自身に言い聞かせていたのだと私は思います。


しかし限界がきた。

もうダメだ、と。

もう耐えられない、と。


そこでついに痛み止めを飲む。

痛みが和らいでいく。

そのとき、なぜか分からないけれど、

「自分がゆるされていく」感じがした、というのです。



自分で自分の罪を背負い、

それゆえに痛みや苦しみで自分自身を縛りつつ、

自分を責め続けながら生きる。


実は私たちもそうではないかと思います。


私たちは、

ただお一人、私たちのすべての罪咎を赦す権威をもっておられる方、

神様に赦していただくまで、平安がありません。


少し粗野な言葉を使えば、

神に「あなたは赦された」と言っていただくまで、

安心して死ねません。


どうか、神の赦しを受け取って下さい。


あなたはもう、自分の罪を自分で背負ってはいけないのです。

背負わなくていいのです。

キリストの十字架はそのためのものです。


赦し。赦されること。

それは私たちが思う以上に大切なことなのです。


ある国のキリスト者たちは、

食前にこう祈るそうです。


神よ、なくてはならぬ二つのものを、

日々私に与えてくださることを感謝します。

日ごとの糧で、罪の赦しを。

アーメン。




【小さな祈り】


主なる神様。

私は今まで、多くの人たちに赦されて生きてきました。

多くの人たちに赦されて今があるのです。

けれども主よ、

わたしはあなたに、あなたにこそ、

赦していただく必要があります。

神の赦し。キリストによる贖罪。

かつてはピンとこなかったことが、今、

私にとってなくてはならないものであることが

分かってきたように思うのです。

*あなたの言葉で祈りを続けてください。

アーメン。



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