【聖句】
わたしが来たのは、
正しい人を招くためではなく、
罪人を招くためである。
(新約聖書・マタイ福音書9章13節)
【黙想】
私たちはともすると、
キリスト者ですら、
「神は正しい人を恵まれる」
「神は正しい人を選別される」
という感覚を、無意識のうちに抱いているかもしれません。
信仰に入って間もなかったあるクリスチャンの婦人が
他愛もない会話の中でポロっと、こう言います。
「そういえば、わたしの知り合いに、とっても素晴らしい夫婦がいるんですよ。
もうほんと、今すぐにでもクリスチャンになれるような方たちなんです。
ぜひ会ってほしいです・・・。」
自分でも気づいていない本音っていうのは、
ポロっと出た言葉の中に出ることが多いのです。
この婦人は、まるで
「素晴らしい行いをしている」
「素敵な方である」ということが
クリスチャンになるための条件のような言い方をしています。
たぶんそう思っていたのです。心の片隅で。
私たちはどうだろう。
実は案外、似たような感覚があるのではないでしょうか。
そんな私たちにイエス・キリストはおっしゃるのです。
医者を必要とするのは、
丈夫な人ではなく病人である。
…わたしが来たのは、
正しい人を招くためではなく、
罪人を招くためである。
この言葉、有名な言葉だけに
クリスチャンの方は慣れっこになっているかもしれません。
でも、あらためて考えてみると、
ほんっとにありがたい言葉だと思うのです。
わたしは罪人を招くために来たんだよ。
正しい人、神のお眼鏡にかなう人を見つけ出して救うために来たんじゃないよ。
ある人は言いました。
救われるための第一条件は、
その人が罪人であるということだ、と。
あなたが、自分が救いを必要としているということが分かったなら、
その思いを携えてイエスさまのところに行くことです。
具体的には、難しいことを考えず、教会に行くことです。
イエス・キリストは、
神を信じて受け入れること以外なんのノルマも課さず、
なんの条件も付さずに、
必ずあなたの一切の罪を赦し、神の子としてくださいます。
使徒パウロはこう言っています。
「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は
真実であり、そのまま受け入れるに値します。(一テモテ1:15)
【小さな祈り】
主なる神様。
わたしは罪人です。
だからこそわたしは、
イエスさまのそばに、イエスさまのところに、
行くのです。行きたいのです。
イエスさまの言葉を握って、
罪も咎もあるまま、あなたの御懐に跳び込みます。
主よ、受けとめてください。
あなたの愛で私の凍てついた心を溶かしてください。
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*あなたの言葉で祈りましょう。
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アーメン。
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