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執筆者の写真元気牧師

8月7日(日)



【聖句】


死ぬとすれば主のために死ぬのです。

従って、生きるにしても、死ぬにしても、

わたしたちは主のものです。


(新約ローマ14:8)



【黙想】


「生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のもの。」


これはなんという言葉でしょう!


わたしはこの聖句をこねくり回したくない。

ただ信じてほしい。

ただただ受け入れてほしい。


この聖句に説明が必要だ、

解説なしでは分からぬ、と感じるとすれば、

それはあなたがまだ自分自身の力を心のどこかで信じているか、

もしくは神やキリスト教のことを

「居間の素敵な絵画」くらいにしか思っていないか、

そのどちらかではないだろうか…とすら思う。


この聖句を聞いてすぐ思い浮かぶのは、

有名な『ハイデルベルク信仰問答』の「問1」の言葉。


問1 生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。
答え わたしがわたし自身のものではなく、 体も魂も、生きるにも死ぬにも、 わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであることです。

約450年前にこの信仰問答が作成されたときのこと。


おおかたの問答の構成は確定していたものの、

編者たちは冒頭の「問1」をどのようにすべきか決めかねていたようなのです。

そんな中、編者の一人がとある地方を行脚したとき、

戦争で次から次へと人々が命を落としていく、

その傍らで家族が泣きわめいている、

そのような生々しい現実を目の当たりにしたのだそうです。


そこで彼の心の中に生まれた問いがこれです。

「生きるにも死ぬにも、わたしたちのただ一つの慰めは何か。」


この問いは本当に切実なものだったのです。

信仰問答は、この人間の現実のまっただ中で問い、そして答えます。


わたしはわたし自身のものではなく、

体も魂も、生きるにも死ぬにも、

わたしの真実な救い主イエス・キリストのものである、と。


兄弟姉妹、

この「答え」の言葉は、

明確な聖書的根拠を持つ、確実なものです。


使徒パウロは言いました。

わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、 死ぬとすれば主のために死ぬのです。 従って、生きるにしても、死ぬにしても、 わたしたちは主のものです。

私はこの言葉を、

この信仰問答の言葉を、

死の床で読み聞かせてほしい。

何度も、何度も、何度でも聞きたい。

生きるにしても、死ぬにしても、 わたしたちは主のものです。


【小さな祈り】


わたしの真実な救い主、

イエス・キリストよ。

私は私のものではなく、あなたのものです。

この体も、私の魂も、

あなたのものです。

私の細胞の一つ一つにあなたの御名が記され、

骨の一本一本にあなたの御名が刻まれ、

髪の毛の一本一本すら、

天の父のゆるしがなければ地に落ちることはない、

それほどに、わたしはあなたのものです。

*続けてあなたの言葉で、

主のものとされている喜びと感謝をささげ、

主のものとされている者としての祈り願いをささげてください。

アーメン。







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