• 元気牧師

8月5日(金)



【聖句】


生きているのは、もはやわたしではありません。

キリストがわたしの内に生きておられるのです。


(新約・ガラテヤ2:20)



【黙想】


ガラテヤ2章20節。

実はこの一節が、数あるパウロの信仰の叫びのうちの

最たるものではないかと思うのです。


せっかくですから、

この言葉の前後も見てみましょう。


わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。わたしは、神の恵みを無にはしません。

ほんとうに、パウロの肉声が聞こえてくるようです。


昨日の配信で記した、南米チリのサンホセ鉱山で起きた落盤事故の話

はじめて地上との交信ができるようになったとき、

閉じ込められていた人々のうちの霊的リーダーであった

ホセ・エンリケス牧師は、世界に、また家族に次のようなメッセージを送ったのだそうです。


「私は大丈夫です。主イエスが私の内に生きていてくださるから。」

極限状態で強がりや偽りを言う余裕はないでしょう。

彼のこの言葉は真実に違いありません。


私は大丈夫です。主イエスが私の内に生きていてくださるから。

これは、そっくりこのまま、

私たちが日々告白すべき信仰の言葉です。


これは根拠のない言葉ではありません。

明確な聖書的根拠のある言葉です。


そう。

使徒パウロの叫び。

生きているのは、もはやわたしではありません。 キリストがわたしの内に生きておられるのです。

兄弟姉妹。

あなたの内には、イエス・キリストが生きておられます。


そう感じますか。感じませんか。

そんなことは二の次、三の次。


聖書を通して主がそのように言ってくださっているのです。

ですからこれは、信ずべきことです。


「あなたのお腹に救い主が」と言われて、

おとめマリアは「お腹の張り」を感じたでしょうか。

「胎動」を感じたでしょうか。


いいえ。なんにも。


しかし、信じたのです。

信じて受け入れたのです。

主のお言葉を。


信じて受け入れ、

「救い主がわたしの内に」との思いで日々生きていったのです。


その歩みの中で、

ある時にはお腹の張りを感じ、

ある時には胎動を覚え、

次第に「明確な感覚」を覚えるようになっていったのです。


皆さん、

マリアにならってください。

「あなたの御言葉どおり、この身に!」と祈り、

パウロと共に、

またかの牧師と一緒に、

声を出して告白しましょう。

「私は大丈夫です。主イエスが私の内に生きていてくださるから。」


【小さな祈り】


主よ、

なんという恵みでしょう。

復活の主イエスがわたしの内に生きておられるのなら、

病も老いも、

死も滅びも、

罪も悪魔も、

決して私を支配できません。

決して私を打ち負かすことはできません。

私は大丈夫です。

主イエスが私の内に生きていてくださるから。

私は大丈夫です。

主イエスの勝利、

主イエスの義、

主イエスの命、

主イエスの力、

主イエスの霊、

主イエスの聖、

主イエスのすべてが、

私の内にあるからです。

*続けて、あなたの言葉で祈りましょう。

アーメン。


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