【聖句】
主の霊のおられるところに自由があります。
(新約・2コリント3:17)
【黙想】
主の霊のおられるところに自由がある。
では、「主の霊のおられるところ」ってどこでしょう。
聖書の言葉に基づいていろいろな答え方ができますが、
今日わたしがあなたにぜひ知ってほしい、
思い起こしてほしいのは、
「主の霊がおられるところ」というのは、
あなた自身のことです。
主イエスはこうおっしゃいました。
この方は、真理の霊である。 ・・・しかし、あなたがたはこの霊を知っている。 この霊があなたがたと共におり、 これからも、あなたがたの内にいるからである。
あなたが信仰を告白した、
洗礼を受けたクリスチャンなら、
神の霊が、霊である神が、あなたの内にいてくださいます。
これはあなたがそう感じるとかなんとかじゃなくて、
事実であり、真理なのです。
「ふ~ん、そうなんだ。じゃあ私には自由があるってこと?」
確かにそうですが、ちょっとまって。
とっても重要なことがあるんです。
それは、聖霊が与えてくださる自由っていうのは、
自分に聖霊が与えられていることを知らされ、
かつ、信じて受け取り、実際に聖霊の助けに信頼して生きるまでは、
分からないということです。
あなたが日傘を持っているとしましょう。
でも、ただ持っているだけでは日傘の恩恵が分からないでしょう?
刺すような日差しの中で、
実際にバサッと自分が持っている日傘をさすことで、
はじめて「日傘を持っていることの恵み」が分かるわけです。
同じこと。
たとえあなたの内に聖霊が与えらえていても、
あなたがなおも自分の力を振りかざして生きているなら、
100年経っても「主の霊がおられるところにある自由」は分からないのです。
たとえばあなたが祈るとき、
う~むと言葉に窮したり、
祈ることが義務のように思えてつまらなく感じたりするとすれば、
それは十中八九、聖霊の助けなしに、
自分の知恵で祈ろうとして頑張っている証拠です。
それはまるで、
炎天下の中、日傘を持っているのにそれをささずに
頑張って歩き続けているのと同じです。
【小さな祈り】
主よ!!
それ、わたしです。
日傘を持っているのにささず
ひたすら炎天下を歩き続けていたのです。
主よ、
私の内に聖霊なる神様がおられるのに、
なおも一人で頑張っていたのです。
「どうしてあなたは私に頼ってくれないのか」との悲し気な声が
聞こえてくるようです。
聖霊なる神様、今、あなたに助けていただきます。
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*あなたの言葉で祈りを続けてください。
*ただし「考える前」に言葉を出して祈ってください。
聖霊の助けによってあなたの舌が動くに任せてほしいのです。
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アーメン。
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