• 元気牧師

8月24日(水)

更新日:8月24日



【聖句】


主の霊のおられるところに自由があります。


(新約・2コリント3:17)



【黙想】


主の霊のおられるところに自由がある。

では、「主の霊のおられるところ」ってどこでしょう。


聖書の言葉に基づいていろいろな答え方ができますが、

今日わたしがあなたにぜひ知ってほしい、

思い起こしてほしいのは、

「主の霊がおられるところ」というのは、

あなた自身のことです。


主イエスはこうおっしゃいました。

この方は、真理の霊である。 ・・・しかし、あなたがたはこの霊を知っている。 この霊があなたがたと共におり、 これからも、あなたがたの内にいるからである。

あなたが信仰を告白した、

洗礼を受けたクリスチャンなら、

神の霊が、霊である神が、あなたの内にいてくださいます。


これはあなたがそう感じるとかなんとかじゃなくて、

事実であり、真理なのです。


「ふ~ん、そうなんだ。じゃあ私には自由があるってこと?」


確かにそうですが、ちょっとまって。

とっても重要なことがあるんです。


それは、聖霊が与えてくださる自由っていうのは、

自分に聖霊が与えられていることを知らされ、

かつ、信じて受け取り、実際に聖霊の助けに信頼して生きるまでは、

分からないということです。


あなたが日傘を持っているとしましょう。

でも、ただ持っているだけでは日傘の恩恵が分からないでしょう?

刺すような日差しの中で、

実際にバサッと自分が持っている日傘をさすことで、

はじめて「日傘を持っていることの恵み」が分かるわけです。


同じこと。

たとえあなたの内に聖霊が与えらえていても、

あなたがなおも自分の力を振りかざして生きているなら、

100年経っても「主の霊がおられるところにある自由」は分からないのです。


たとえばあなたが祈るとき、

う~むと言葉に窮したり、

祈ることが義務のように思えてつまらなく感じたりするとすれば、

それは十中八九、聖霊の助けなしに、

自分の知恵で祈ろうとして頑張っている証拠です。


それはまるで、

炎天下の中、日傘を持っているのにそれをささずに

頑張って歩き続けているのと同じです。



【小さな祈り】


主よ!!

それ、わたしです。

日傘を持っているのにささず

ひたすら炎天下を歩き続けていたのです。

主よ、

私の内に聖霊なる神様がおられるのに、

なおも一人で頑張っていたのです。

「どうしてあなたは私に頼ってくれないのか」との悲し気な声が

聞こえてくるようです。

聖霊なる神様、今、あなたに助けていただきます。

*あなたの言葉で祈りを続けてください。

ただし「考える前」に言葉を出して祈ってください。

 聖霊の助けによってあなたの舌が動くに任せてほしいのです。

アーメン。


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