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執筆者の写真元気牧師

8月21日(日



【聖句】


人にはできないが、神にはできる。

神はなんでもできるからである。


(新約・マルコ10:27[口語訳])



【黙想】


文脈を見てみますと、

この聖句は、救いようのない人間を神がお救いになるという、

「不可能の可能性」を宣言している言葉です。


思えば、聖書はこのような相矛盾するような言葉のオンパレードです。

「わたしは弱いときにこそ強い(2コリント12:10)」とか、

「彼(アブラハム)は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じた(ロマ4:18)」とか。


アブラハムは、希望するすべがなかったのです。

ゼロだったのです。

それでもなお望みを抱いて、信じた、というのです。


聖書を読んでみましょう。

そのころ彼は、およそ百歳になっていて、既に自分の体が衰えており、そして妻サラの体も子を宿せないと知りながらも、その信仰が弱まりはしませんでした。彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。(ローマの信徒へ手紙4:20~)

自分の可能性ではなく、神の可能性を信じる。

神の約束。神の御言葉。

受胎告知を受けたマリアも当初は自分自身を見て、

「ありえない」と言いました。

でも天使に「神に不可能はない」と言われて、

自分の可能性ではなく、

神の力に目をとめて、

はじめて本当に「神を」信じるようになったのです。


兄弟姉妹、

私たちも気づかないうちにいつのまにか、

自分の可能性の中に神様を閉じ込めていませんか。

とても当たり前のことですが、信仰とは、「神を」信じることです。

ですから、自分の中にまったく望みがなくても、

神を信じることにはなんの差し支えもありません。



【小さな祈り】


天の父よ!

気づかないうちにあなたのことを、

私の可能性の中に閉じ込めてしまっていました。

あなたの御言葉を聞くとき、

すぐさま私の心は、

「ありえない!」「そんなの無理だ!」とわめくのです。

しかし主よ、

確かに、あなたにはすべてのことが可能なのです。

だから私は、

たとえわたし自身のどこを探しても希望するすべがないときにも、

あなたの約束の中になら、わたしは望みを見いだすことができるのです。

*あなたの言葉で一言祈ってください。

アーメン。



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