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  • 執筆者の写真元気牧師

8月2日(水)



【聖句】


だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、

また怒るのに遅いようにしなさい。

人の怒りは神の義を実現しないからです。


(新約聖書・ヤコブの手紙1章19,20節)



【黙想】


人の話を聞く。

簡単なことのようでなかなかできないこと。


「盗むな」という十戒の言葉、

「これはさすがに守っている」と思っているかもしれないけれど、

私たちは日々、他人が口を開こうとしているときに、

人の話すタイミングを盗んで自分の話をはじめてしまう。

それも一つの「盗み」。


心したいと思います。



怒るのに遅く。

当たり前かもしれませんが、とても大切なこと。


ある本の冒頭に出てきていた牧師のエピソード。


何年か前、ある教会のご奉仕にうかがったとき、集会の後で一人の方から個人的な相談を受けた。教会のある大切な奉仕を担当し、自分なりに精一杯やっているつもりであるが、先生がいちいち細かい点を言い過ぎる、これではやる気がしない、というような相談だった。

お話を聞いた後、私は次のように答えた。

確かに先生の言い方は悪いだろう。ほめないで欠点だけ指摘されたら、やる気を失うに違いない。だが先生の側のことは別にして、先生に対して怒っている、そのあなた自身の怒りはどうなのか―。

その方は、虚をつかれたようにして、「そうでした、わかりました」と答えた。

私たちは、心のどこかで自分の怒りを正当化しています。

「相手が悪いのだから、怒るのは」

そして相手の問題や、状況の問題ばかりに目を注ぐのです。


そうではなく、

自分の内側に「怒り」が生じていることに目を向ける。

そしてそのことを責めたり、自己嫌悪に陥るのではなく、

素直に自分の「怒り」を認める。

そして私たちの内にいます聖霊に助けを乞うのです。


もし特定の人に対してことさら「怒り」を覚えるなら、

それはなおさら放置しておいてはいけません。


あなたの内にある「苦い根」はあなた自身を苦しめ、

さらにはその苦々しさに周囲の人をも巻き込んでしまうからです。


またその「苦い根」は、あなたが信仰の歩みを力強く推し進めようとするたびに、

あなたが信仰の一方を踏み出していこうとするたびに、

あなたの内でうずいてその歩みを妨げてきます。


決して放っておいてはいけない。

素直に認めて、聖霊に助けを乞うてください。


あなたの「怒り」は、

神の義を実現するものではありません。




**公開が遅くなりましたことお詫びいたします**



















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