【聖句】
だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、
また怒るのに遅いようにしなさい。
人の怒りは神の義を実現しないからです。
(新約聖書・ヤコブの手紙1章19,20節)
【黙想】
人の話を聞く。
簡単なことのようでなかなかできないこと。
「盗むな」という十戒の言葉、
「これはさすがに守っている」と思っているかもしれないけれど、
私たちは日々、他人が口を開こうとしているときに、
人の話すタイミングを盗んで自分の話をはじめてしまう。
それも一つの「盗み」。
心したいと思います。
怒るのに遅く。
当たり前かもしれませんが、とても大切なこと。
ある本の冒頭に出てきていた牧師のエピソード。
何年か前、ある教会のご奉仕にうかがったとき、集会の後で一人の方から個人的な相談を受けた。教会のある大切な奉仕を担当し、自分なりに精一杯やっているつもりであるが、先生がいちいち細かい点を言い過ぎる、これではやる気がしない、というような相談だった。
お話を聞いた後、私は次のように答えた。
確かに先生の言い方は悪いだろう。ほめないで欠点だけ指摘されたら、やる気を失うに違いない。だが先生の側のことは別にして、先生に対して怒っている、そのあなた自身の怒りはどうなのか―。
その方は、虚をつかれたようにして、「そうでした、わかりました」と答えた。
私たちは、心のどこかで自分の怒りを正当化しています。
「相手が悪いのだから、怒るのは」
そして相手の問題や、状況の問題ばかりに目を注ぐのです。
そうではなく、
自分の内側に「怒り」が生じていることに目を向ける。
そしてそのことを責めたり、自己嫌悪に陥るのではなく、
素直に自分の「怒り」を認める。
そして私たちの内にいます聖霊に助けを乞うのです。
もし特定の人に対してことさら「怒り」を覚えるなら、
それはなおさら放置しておいてはいけません。
あなたの内にある「苦い根」はあなた自身を苦しめ、
さらにはその苦々しさに周囲の人をも巻き込んでしまうからです。
またその「苦い根」は、あなたが信仰の歩みを力強く推し進めようとするたびに、
あなたが信仰の一方を踏み出していこうとするたびに、
あなたの内でうずいてその歩みを妨げてきます。
決して放っておいてはいけない。
素直に認めて、聖霊に助けを乞うてください。
あなたの「怒り」は、
神の義を実現するものではありません。
**公開が遅くなりましたことお詫びいたします**
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