【聖句】
わたしはあなたたちの老いる日まで、
白髪になるまで背負って行こう。
わたしはあなたたちを造った。
わたしが担い、背負い、救い出す。
(イザヤ46:3-4)
【黙想】
少し長いですが、ぜひとも覚えたい聖句。
これは主なる神様が、バビロン捕囚という苦難の中にあったイスラエルの民に向かってお語りになった言葉です。
この言葉の背景を詳しく記すべきかもしれませんが、
今はただ素朴に、素直に、
この主の御言葉の力強さと慰め深さを存分に味わっていただきたいです。
罪を犯し、神に背き、国を失い、敵国の捕虜となっている。
天に顔向けすることもできず、
敵国の巨大な偶像ににらみ付けられ、見下ろされ、
笑いものにされてきた神の民。
そのような彼らを見、主は預言者にこう語りかけられました。
「慰めよ、わたしの民を慰めよ。」
(イザヤ40:1)
なんて優しいお方であろうかと思います。
主は、お優しい方なのです。
冷酷な、厳格な、非情な方ではないのです。
何をしても怒らないお父さんは、良い父でしょうか。
子どもが罪を犯してもなんとも思わないお父さんは、
子どもを愛しているのでしょうか。
天の父は、子どもを愛しているゆえに、
本当に大切であるがゆえに、
罪を犯す者には本気で怒り、
本気で正し、本気で裁き、
そして悔いる者を、本気で慰め、本気で励まし、
本気で抱きしめてくださいます。
でも、この神さまの「本気」は、
はたから眺めているだけだと分からない。
カッコつけて斜めから眺めているだけでは分からない。
真正面から受け止めないと分からないのです。
有名な放蕩息子の父親の姿。
ボロボロの息子が、財産を使い果たしてトボトボと帰ってくる。
そんな息子に駆け寄り、抱きしめ、口づけし、涙を流す年老いた男。
そんな父親をの姿を、ただはたから見たら、
この息子にしてこの親あり、と言いたくなるような、
みじめな、無様な、愚かな老父です。
しかし、この父親の姿を正面から見たら、
自分に向かって駆け寄ってくる父親として見たら、
まるで違って見えてくる。
本気は、それを正面から受け止めない限り、
理解できないのです。
「わたしが担い、背負い、救い出す。」
真正面から、
神の本気を、受けとめてください。
【小さな祈り】
父よ、
前の人の肩越しに讃美歌を歌い、
誰かの後ろで説教を聞き、
人々に紛れて信仰を告白しているような気がします。
あなたの本気の愛に
こんなに冷淡でいられるなんて、
私はどこで道を踏み外したのでしょう。
あなたの愛で、
私の心を溶かしてください。
信仰は感情ではない。
そのとおりだと思います。
でも、
あなたもご存じのとおり、
私たちにとって感情はとても大切なものなのです。
どうか主よ、
感情を伴う信仰を味わわせてください。
「言葉では言い尽くせない素晴らしい喜びに満ち溢れている」。
ペトロの言うこのような信仰に、
私は憧れているのです。主よ。
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*続けてあなたの言葉で祈りましょう。
*あなたの心が求めている「信仰」を、
素直に打ち明け、求めてください。
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アーメン。
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