【聖句】
主御自身があなたに先立って行き、
主御自身があなたと共におられる。
主はあなたを見放すことも、
見捨てられることもない。
恐れてはならない。
おののいてはならない。
(旧約聖書・申命記録31章8節)
【黙想】
「主御自身が」と繰り返し
語られているところに、
心惹かれました。
と同時に、
わたしは礼拝の最後に牧師が告げる
祝祷の言葉が思い出されました。
多くの牧師が祝福の言葉として
宣言しているのは、
「アロンの祝福」とも呼ばれる
民数記6章の言葉ですね。
聖書には次のように記されています。
主はモーセに仰せになった。
アロンとその子らに言いなさい。
あなたたちは
イスラエルの人々を祝福して、
次のように言いなさい。
主があなたを祝福し、
あなたを守られるように。
主が御顔を向けてあなたを照らし
あなたに恵みを与えられるように。
主が御顔をあなたに向けて
あなたに平安を賜るように。
彼らがわたしの名を
イスラエルの人々の上に置くとき、
わたしは彼らを祝福するであろう。
よく「祝祷」と表現されますが、
正確にいうとこの言葉は
「祝福してください」という
祈りではなく、
祝福そのものであり、
祝福の「宣言」なのです。
九州におりましたとき、
教派の集まりの礼拝で
ある教会の牧師の「祝祷」を
とても印象深く、
励ましに満たされる思いで
受けさせていただいたことがありました。
その先生は、
上に記したアロンの祝福の言葉を
告げるとき、
「主が」という言葉を
とても力強く発声されるのです。
「主が」あなたを祝福し、
あなたを守られるように・・・
という感じで。
まさに「主御自身」が
あなたを祝福し、
あなたに御顔を向け、
平安と照らしを与えられるのだ!
という宣言でした。
その先生いわく、
自分も先輩牧師の祝祷の言葉を聞いて
このように「主が」という言葉を
大きくハッキリ告げるようにしているのだ、と。
わたしも実はそれ以来、
祝福の宣言をする際に
「主が」という言葉を
大きく強く、高らかに告げるよう
心がけています。
主が、
主御自身が、
私たちに御顔を向けて
祝福してくださるのです。
きっと、若いリーダー
ヨシュアを任命し、
その尊い職を委嘱する際、
老モーセもまた
「主御自身」が
あなたと共におられるのだ、と
告げたに違いありません。
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