【聖句】
心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず 常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば 主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。
(旧約・箴言3章4節)
【黙想】
他の翻訳(新改訳)では次のように訳されています。
📖
心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。 あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。 そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
兄弟姉妹、
わたしたちはいつも、どれほど「自分の悟り」「自分の分別」に頼っていることでしょう。
そして私たちが自分の悟り、自分の分別に頼っていることが、
どれほど私たちを、神の恵みを受けとることから遠ざけていることでしょう。
自分の悟りを大切に額縁に入れていながら、
もう片方で神の御業を体験することはできません。
一晩中不漁だったあくる朝、
主イエスから「さあ沖へ漕ぎ出し、網を降ろして漁をしなさい」と言われたとき、
もし弟子のペトロが「自分の分別」を押し通して、舟を出さなかったら、
網を降ろさなかったら、何も起きなかったのです。
自分の分別を、
自らの悟りを、漁師としての経験を脇に置き、
「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と言って、
やってみたとき、
そこに神の御業が現わされたのです。
兄弟姉妹、
もし私たちが神の御業を体験していないとすれば、
語りたくて、分かち合いたくてウズウズするような主の恵みを味わっていないとすれば、
それは私たちが網を降ろしていないからです。
網をおろさなければ、
魚はかかりません。
当たり前のことです。
奇跡の大漁をもたらすのは主なる神です。
しかし、そのために網を降ろすのは、私たちなのです。
網を降ろすためには必要なのは自分の「腕力」ではありません。
自分の「分別」でもありません。
わたしは信仰の弱いものなので、などという大人びたずるい言い訳を捨て、
ただ主の言葉のゆえにやってみること。
何を隠そう、
この「日々の聖句と小さな祈り」それ自体も、
「自分の分別」を脇においてやってみる、という、
私のささやかな主へ応答なのです。
【小さな祈り】
主よ、
あなたの栄光が、あなたの御業が、
この私に現わされるのを妨げているのは、
あの人でも、この環境でも、
今の状況でもありません。
私自身が、私の邪魔をしているのです。
私自身の分別が、プライドが、
教え込まれた”知恵”が、
神の栄光が私に現われるのを妨げているのです。
わが魂よ、聞け。
主はこう言われる。
心を尽くして主に信頼し、 自分の分別には頼らず 常に主を覚えてあなたの道を歩け。
どうか主よ、
私が私自身を退け、
サタンの言葉を押し戻し、
あなたの御言葉を握って生きることができるよう、
聖霊によって励ましてください。
私は今、もう一度、
主よ、あなたにわたしの人生を明け渡し、
あなたを心の王座にお迎えいたします。
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続けて、あなたの言葉でまっすぐ祈ってください。
通り一遍の、ありきたりな言葉ではなく、
一言でもいのです、ほんとうの言葉を、ささげてください。
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アーメン。
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