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執筆者の写真元気牧師

7月27日(木)



【聖句】


わたしは神を呼ぶ。

主はわたしを救ってくださる。

夕べも朝も、そして昼も、

わたしは悩んで呻く。

神はわたしの声を聞いてくださる。


(旧約聖書・詩編55:17,18節)



【黙想】


相手と対話をしているとき、

私たちはしばしば、

対話相手がこちらの言った言葉を

ゆっくり受けとめ、

じっくり噛み締めている様子に気づくことがあります。


そのとき私たちは、

次に相手が何を語り出すかを

静かに待つことができると思います。


それは、こちらの語った言葉を、声を、

相手がしっかりと受け止めてくれていることが分かっているからです。



そしてこのことは、

神さまとの対話である「祈り」においても

同じことが言えると思います。



今日の聖句にこうありました。


 夕べも朝も、そして昼も、

 わたしは悩んで呻く。

 神はわたしの声を聞いてくださる。


悩んでいるのです。

朝に夕に、呻き祈っているのです。


しかし、確信がある。

心の底では安心感を抱いている。


なぜか。


神はわたしの声を聞いてくださる。


この一点が揺るがない。

そう。主は私の声を聞いていてくださる。


私たちはどうしても状況をコントロールしたい。

自分の手のうちにおいておきたい。


でもそれは不可能です。

出来もしない、ありもしない土俵の上で祈っているから、

神の返事を待てない。

神さまは聞いていない、

この祈りは聞かれていないと思ってしまう。


でも、あなたの捧げた祈りは、

主イエスの御名によって告げた願いは、訴えは、呻きは、

確実に神さまに聞かれています。


もちろん「祈り続ける」「祈り込む」ということも大切。

でも。

あなたの捧げた祈りを、声を、

神さまが確実に聞き届けていてくださることを知るなら、

信頼して、期待して、

待つということもまたとてもとても、大切なこと。


「主よ、あなた答えを期待して、信頼して、

待つことができるように助けてください」という祈りが

必要になるときがあるのですね。













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