【聖句】
神のなされることは
皆その時にかなって美しい。
(旧約聖書・伝道者の書[コヘレトの言葉]3章11節)口語訳
【黙想】
私たちの教会と共に歩む
常盤幼稚園の昔のお便りで、
当時の園長先生が、
「その子の持っている時計を
早めてはいけません」という
言葉を記していらっしゃいました。
その子には、
その子の時がある。
だからそれを
無理やり早めたり、
親や周りの思うペースに
合わすよう強いたりすべきではない、と。
その通りだと思います。
この言葉をお借りして、
私は次のように申し上げたいと思います。
「神様が持っておられる時計を
早めようとしてはなりません。」
私たちはとかく、
自分のスケジュール、
自分のプラン、時間、段取りに
神様を押し込もうとしがちです。
祈っても、
自分のスケジュール通りに
自分の決めた締め切り通りに
それが与えられない、
答えられないと、
すぐさま
「祈りが聞かれなかった」と
決め込むのです。
そして、
神様に祈った祈りの答えを
神さまを信頼し、
神さまの方法に期待する
という姿勢を捨て、
自己流で、自分の方法で
やろうとしはじめるのです。
ある人は次のように言っています。
わたしが学んだ教訓は、私たちの祈りに対する神様からの「ノー」は必ずしも全否定ではなく、「今はまだだめ」という意味の場合もありうるということだ。私たちは自分が望むタイミングに望むかたちで答えが与えられないと、あまりにも早く神をあきらめてしまう。おそらく、あなたが決めた締め切りが、神のスケジュールと合っていないだけなのだ。もしかしたら「ノー」は単に、「まだその時ではない」という意味なのかもしれないし、その遅れは神による聖なる遅れなのかもしれない。
アーメンです。
今日の聖句を噛み締めよう。
神のなされることは
皆その時にかなって美しい。
神さまが、もっと良いことをされるために、
まだ、あなたの祈りは、
神さまの御懐の中であたためられているのではないでしょうか。
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