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7月18日(火)

執筆者の写真: 元気牧師元気牧師


【聖句】


あなたの口を大きくあけよ。

わたしそれ満たそう


(旧約聖書・詩編81編10節)新改訳




【黙想】


ある貧しい牧師がいた。

ある時彼は、

よその教会での奉仕の機会が与えられ、

その働きに対する謝礼を得て

家に帰ってきた。


帰ってくるなり彼は

子どもたちを呼び集め、

嬉々として彼にこう告げた。


「今日は、お父さん、

いつもよりもたくさん

お金を持っているから、

なんでもお前たちの好きなものを

食べよう。」


さあ、今日は何を食べたい?



子どもたちは皆で相談し、

振り向くとお父さんにこう言いました。


「お父さん。ぼくたち

ポテトチップスが食べたい。」


お父さんはこの申し出を聞いて、

とても悲しくなった。


お父さんは、

もっともっと大きなことを

願ってほしかった。


その願いをかなえてあげようと

わくわくしていた。


けれども、

子どもたちはとても小さなことしか

願わなかった。


このことが、

お父さんを悲しませたのだ。


先日読んでいた本の中に

印象深い文章があった。

人間は歳を取るにつれて

想像力をつかさどる右脳より

論理的思考を司る左脳を

頼りにして物事を認知するように

なっていくそうだ。

この神経学上の発見は、

重大な霊的危険性があることを

示している。

それは、わたしたちの多くは、

ある時点で想像力によって

生きることをやめ、

記憶によて生きるようになる

ということだからだ。

ハッとさせられた。

自分もそうなってはいなかったか、

と思わされた。


神さまは常に新しく、

常に私たちの想像をはるかに超える

ような出来事をなされ、

私たちの記憶や経験を

はるかに超える、

人間の論理の外側に飛び出すような

奇跡を与えたいと願っておられる。


そしてきっと主は、

ワクワクしながら

私たちにお求めになるのだ。

「祈りなさい。求めなさい」と。


しかし私たちが

記憶や経験だけを頼りに生きていたら、

神さまへの祈りもまた、

とても小さいものになってしまう。


そしてそのような

小さな祈りは、

(こう言ってよければ)

神の御心を悲しませるものなのだ。



主はこう言われる。


 あなたの口を大きくあけよ。

 わたしそれ満たそう


口を大きく開けよ!!

と主は言われるのに、

私たちはあまりにも

お上品になってしまっていないだろうか。


祈りには、

聖なる図々しさが必要なのだ。


もっと大きく祈りたい。


大きな祈りは、

神を大きくすること、すなわち

神をほめたたえることに

他ならないのだ。













 
 
 

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