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  • 執筆者の写真元気牧師

6月7日(水)




【聖句】


自分の体を神に喜ばれる

聖なる生けるいけにえとして

献げなさい。

これこそ、

あなたがたのなすべき礼拝です。


(新約聖書・ローマの信徒への手紙12章1節)



【黙想】


ある人はこう言いました。


「ささげもの(献金)の

 伴わない礼拝は、

 ほんとうの礼拝にはならない」と。


その通りだと思います。


礼拝は、

「神から受け取ること」と

「神にささげること」が合わせって

はじめて意味のあるものになるからです。


ささげものの伴わない礼拝は、

下手をすれば著しく真剣さを欠き、

ややもすれば余興のようなものに

なりさがる危険すらあるでしょう。


それでは、

礼拝の中で「献金」を捧げれば

それでよいのでしょうか。


いいえ、そうではありません。


礼拝の中でする「献金」は、

神の恵みに応え、

神の愛を信頼して

私たちの身も心もすべて

神様にささげ、ゆだねる、

「献身のしるし」なのです。


ですから献金の際の祈りは、

「この『献金』を

 神様の御用のためにお使いください」

とだけ祈っておしまいではありません。


また、しばしば耳にする

「あなたからいただいた

 恵みの『一部』お返しします」

という言葉も

実は的を射た言葉ではありません。


「この献金は、

 感謝と献身のしるしです。

 あなたの恵みを

 豊かにいただいた私たちは

 今、感謝をもって

 私たちの身も心もすべて

 あなたにおささげいたします。

 どうぞ私たちを、

 あなたの御業のために聖別し、

 御心のままにお用いください。」


・・・このように祈って、

自分自身を

「聖なる生けるいけにえ」として

主の祭壇にささげるとき、

私たちの礼拝は

真の礼拝になるのです。


本当は、

礼拝式次第の言葉も

「献金」ではなく、

「献身」とか「奉献」などと

記すべきだと思います。













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