【聖句】
わたしは道であり、
真理であり、命である。
(新約聖書・ヨハネによる福音書14章6節)
【黙想】
原語のニュアンスを引き出して
訳し直すならこうなります。
このわたしこそが道であり、
真理であり、命なのだ。
わずかな違いですが、
響きが変わります。
この言葉は
十字架前夜に主イエスが弟子たちに
語られた言葉。
まもなく主イエスが去っていくと
聞かされ、
取り残される不安、
主がどこに行かれるのか
分からないことへの狼狽。
これからどうすればよいのか
どう生きていけばよいのか
分からない弟子たち。
子供のように取り乱す弟子たちに、
主イエスはおっしゃいました。
わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。
こんな話を聞いたことがあります。
ある旅行者がガイドを雇って、
砂漠地帯を横切ることになりました。
砂漠の端に来た時、
旅行者は前方を見て、
前人未到の砂漠が広がっているのが分かりました。
一つの足跡もなく、標識もありません。
驚いた彼は、ガイドに向って
「道はどこにあるのですか?」と聞きました。
するとガイドは答えました。
「私が道です。」
私たちもまた、
目の前に荒涼とした荒れ野が広がり、
どこにも道がなく、
どこに向かえばよいかも分からない、
そんなところに置かれることがあります。
「道はどこにあるのですか?」
私たちも聞きたい。
いや、叫びたくなります。
そこでイエスさまが言われるのです。
「道はある。わたしが道である。
私こそが道である。
さあ、わたしについて来なさい。
離れずに、歩きなさい。」
私たちは、どの道を歩けばよいか
ばかり気にします。
どう歩いていけばいいか、
という言葉かり気にします。
だから目の前の問題や壁に
目を注ぎます。
しかし私たちが一生懸命に
なるべきことは、
どうすればこの壁を
超えられるかということではばく、
どうすれば主イエスに従うことが
できるか、
いかにイエスさまから離れずに
歩くか、ということです。
イエスさまから離れずに
歩いていくことさえできれば、
砂漠も谷も、
気づいた時にはもう越えているでしょう。
ですから、しばしばこう祈るべきです。
「主よ、この荒れ野を越えさせてください!」
ではなく、
「主よ、わたしがあなたから離れずに歩けるよう
わたしを助けてください」と。
では最後に、
明るく、シンプルな、ワーシップソングを。
ぜひ何度も聞いてみてください。
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