【聖句】
お前たちのうちにいるであろうか…。
闇の中を歩くときも、
光のないときも
主の御名に信頼し、
その神を支えとする者が。
(旧約聖書・イザヤ書50章10節)
【黙想】
ある人は言いました。
信仰とは、暗闇の中を
目を閉じて歩ませるものだ、と。
暗闇の中を歩けと言われたら、
わたしたちは目を凝らして、
少しでも見ようとする、
僅かでも、一寸先でも、
とにかく見ようとする。
真っ暗闇の中にあって
なおも自分の目により、
見えるところによって歩もうとする。
わたしたちまさに、
見ゆるところによって歩むものだ、
ということを思い知らされます。
ある讃美歌の歌詞を思い出しました。
『新聖歌』の282番の1節。
見ゆるところによらずして 信仰によりて歩むべし 何をも見ず、また聞かずとも 神の御約束に立ち
歩めよ信仰により
歩め歩め、疑わで
歩めよ、信仰により
見ゆるところにはよらで
あまりに勇ましい讃美歌のように
思われるかもしれません。
でも、信仰によって歩む、
というのは、
見ゆるところにはよらないで
歩むことに他なりません。
ヨシュアに率いられた
イスラエルの民が、
ヨルダン川を渡るとき。
彼らは、
水がせき止められた川に
一歩を踏み出したのでは
ありませんでした。
春の借り入れの時期の川は、
堤を越えんばかりに
みなぎっていました。
主は、このような川に、
足を踏み入れよ、とおっしゃった。
そうすれば、
川の中に道を造ろう、と。
これぞまさに、
見ゆるところによらずして
神の御約束に立ち
信仰によりて歩む、ということでしょう。
兄弟姉妹、
あなたの目の前には今、
荒れ野が広がっていますか。
渡河不可の川が横たわっていますか。
もし主がおっしゃるなら、
見ゆるところによらずして、
信仰により、
歩み始めてみるのです。
主は探しておられます。
お前たちのうちに
いるであろうか…。
闇の中を歩くときも、
光のないときも
主の御名に信頼し、
その神を支えとする者が。
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