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6月25日(日)

  • 執筆者の写真: 元気牧師
    元気牧師
  • 2023年6月25日
  • 読了時間: 1分


【聖句】


夕べがあり、朝があった。


(旧約聖書・創世記1章5節)



【黙想】


イスラエルの民にとって、

一日は日没からはじまります。


朝日が昇り、

目が覚めて、

新しい一日がスタート、

ではないのです。



日が暮れる。

仕事を終え、

家事を終え、

活動を終えて、

眠りに就く。


業を終え、眠る。

そこから一日がスタートする。


眠る。

闇の中で、

わたしたちは無防備な姿になります。


日が沈んでいる間は、

眠っている間は、

私たちは何もできません。

日が昇るまで、

体力が回復して、

目覚めるまで、

わたしたちはすべてを委ねて、

身を横たえるのです。


とても意味深いことだと思います。


わたしたちは委ねることから

一日を始めるのです。


神様に委ねて、

主にすべてを明け渡して、

わたしたちは眠る。

そこからすべてがはじまる。


私が!私が!

自分で!自分で!という

自我や恐れや心配を

手放して身を横たえて、

目を閉じることから、

はじまるのです。


すると、神さまが

神のお働きをおはじめくださる。

神様が自由に、お働きくださる。


神様のお働きを妨げているのは

あのことではなく、

この人でもなく、

多くの場合、

自分自身なのかもしれません。












 
 
 

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