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  • 執筆者の写真元気牧師

6月23日(金)




【聖句】


絶えず祈りなさい。


(テサロニケの信徒への手紙一4章17節)



【黙想】


この聖句は、

よく知られた次の聖句の一部です。


 いつも喜んでいなさい。

 絶えず祈りなさい。

 どんなことにも感謝しなさい。


ある教会を訪れたとき、

礼拝堂の壁面に力強い筆遣いで

こんな言葉が掲げられていました。



常時喜悦
不断祈祷
万事感謝

あまりにも太く力強く

勢いのある筆遣いに一瞬

たじろぎつつも、

信仰者として大切な

この三つの姿勢に

襟を正される思いでした。


でも、私は思います。

これらのことは、

何か力んでエイヤと

頑張って目指すことではない。


もちろん、のんべんだらり、

ではいけないと思いますよ。


でも、力んで頑張ることとは

違うのです。



ある教会の牧師の著書の中の言葉です。


ふだん早天祈祷会に来ていない信徒が急に来始めると、その人に何か問題が起こったことが分かります。しばらく熱心に祈っていたのに、また来なくなると、問題が解決したことが分かります。そして、またしばらくしてその人が早天祈祷会に来るようになると、それはまた問題が起きたということです。このように、ほとんどの信徒たちは問題が起これば熱心に祈り、解決されれば祈りを休む、というふうに、問題を中心にぐるぐる回っているようです。

しかし、特別な問題がなくても、いつも祈りの場を守っている人がいます。いつも祈っているため、何か問題が起こっても、神さまから平安が与えられます。これこそが知恵です。

ほんとうにそうだ、と思わされます。

私たちは神様を中心にしているのか、

それとも「問題」を中心にしているのか、

どっちでしょう。


神様を真ん中に生きているなら、

自然に、自ずと、祈るのだと

思うのです。


「問題」に支配され、

「問題」を真ん中にして、

まるで「問題」の前にひざまずくように

して生きていたら、

祈りの生活をすることはできません。


私たちは、

力んで頑張って祈ることではなく、

神様を真ん中にして生きることに

心を傾けたいと思います。






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