【聖句】
絶えず祈りなさい。
(テサロニケの信徒への手紙一4章17節)
【黙想】
この聖句は、
よく知られた次の聖句の一部です。
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。
ある教会を訪れたとき、
礼拝堂の壁面に力強い筆遣いで
こんな言葉が掲げられていました。
常時喜悦
不断祈祷
万事感謝
あまりにも太く力強く
勢いのある筆遣いに一瞬
たじろぎつつも、
信仰者として大切な
この三つの姿勢に
襟を正される思いでした。
でも、私は思います。
これらのことは、
何か力んでエイヤと
頑張って目指すことではない。
もちろん、のんべんだらり、
ではいけないと思いますよ。
でも、力んで頑張ることとは
違うのです。
ある教会の牧師の著書の中の言葉です。
ふだん早天祈祷会に来ていない信徒が急に来始めると、その人に何か問題が起こったことが分かります。しばらく熱心に祈っていたのに、また来なくなると、問題が解決したことが分かります。そして、またしばらくしてその人が早天祈祷会に来るようになると、それはまた問題が起きたということです。このように、ほとんどの信徒たちは問題が起これば熱心に祈り、解決されれば祈りを休む、というふうに、問題を中心にぐるぐる回っているようです。
しかし、特別な問題がなくても、いつも祈りの場を守っている人がいます。いつも祈っているため、何か問題が起こっても、神さまから平安が与えられます。これこそが知恵です。
ほんとうにそうだ、と思わされます。
私たちは神様を中心にしているのか、
それとも「問題」を中心にしているのか、
どっちでしょう。
神様を真ん中に生きているなら、
自然に、自ずと、祈るのだと
思うのです。
「問題」に支配され、
「問題」を真ん中にして、
まるで「問題」の前にひざまずくように
して生きていたら、
祈りの生活をすることはできません。
私たちは、
力んで頑張って祈ることではなく、
神様を真ん中にして生きることに
心を傾けたいと思います。
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