【聖句】
あなたはいけにえも、
穀物の供え物も望まず 焼き尽くす供え物も 罪の代償の供え物も求めず ただ、わたしの
耳を開いてくださいました。
(旧約聖書・詩編40編7節)
【黙想】
詩編40編はダビデの祈り。
敵による迫害。
自分の罪による苦しみ。
その中で主の恵みを
一つ一つ思い起こし、
主への信仰に立ち返って
助けを叫び求めるダビデ。
そんな祈りの中に、
今日の聖句があります。
あなたはいけにえも、
穀物の供え物も望まず 焼き尽くす供え物も 罪の代償の供え物も求めず ただ、わたしの
耳を開いてくださいました。
神様が望んでおられるのは、
あれやこれやの捧げものではなく、
わたしたちの開かれた耳、
すなわち私たちが
主の御言葉を聞き、
その主の御言葉に聞き従うこと、
その御言葉によって生きること、
これこそが最上の捧げものである
というのです。
新約聖書ルカ福音書10章にある、
マルタとマリアのエピソードを
思い出します。
イエスさま一行を我が家に迎え、
最上のもてなしをしようと
台所と食堂をせわしなく
行き来していた姉のマルタ。
その一方で、
主イエスの足元に座って
その御言葉に
聞き入っていた妹のマリヤ。
もちろん、マルタの心意気や
もてなしの心は素晴らしいと思います。
イエスさまだって、
ありがとう、って思っていたはずです。
しかしイエスさまは
イエスさまを思うあまり
あれやこれやと多くのことに
心を悩ませているマルタに対して、
ただ主の御言葉に聞き入るマリアこそ、
「良い方を選んだのだ」と
さとすのです。
あなたはいけにえも、
穀物の供え物も望まず 焼き尽くす供え物も 罪の代償の供え物も求めず ただ、わたしの
耳を開いてくださいました。
わたしたちはまず、
心から御言葉を聞く、という
捧げものをしよう。
主がもっとも喜ばれるのは、
私たちが主の御言葉に
聞き入る姿なのです。
Comentarios