【聖句】
時は満ち、神の国は近づいた。
悔い改めて福音を信じなさい
(新約聖書・マルコによる福音書1章15節)
【黙想】
私たちの教会が所属している
全国連合長老会の全国会議が、
4年ぶりに対面で開催されています。
昨日は開会礼拝が捧げられ
横浜指路教会に集った兄弟姉妹たちが
高らかに主をほめたたえました。
礼拝説教は、
和歌山教会の清藤牧師が
4年ぶりに集うことができた喜びと、
その間の互いの労苦に思いを致しつつ、
力強く語られました。
ヨハネが捕らえられた後、
イエスはガリラヤへ行き、
神の福音を宣べ伝えて、
「時は満ち、神の国は近づいた。
悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。
主イエスが神の国の福音を宣言し、
さあ時が満ちた!と告げてくださったのは
どのような時であったか。
人々が皆、神様に立ち返り、
世の中が希望にあふれ、
「ああ、神の国が
はじまっているのではないか」と
感じられるような時だったか?
そうではないのです。
説教者が注目したのは、
「ヨハネが捕らえられた後」という
言葉でした。
洗礼者ヨハネ。
人々に悔い改めの洗礼を施し、
多くの人が彼のもとにやってきた。
しかし彼は、
ヘロデによって捕えられてしまうのです。
この世が神の言葉、
神の業を拒絶し、
主のご計画が
頓挫したかのように思われる、
行き詰ったかのように感じられる、
うまくいっていないように
思われてならない・・
そんなときイエス・キリストの声が
鳴り響いたのです。
「時は満ち、神の国は近づいた。
悔い改めて福音を信じなさい!」
私たちはまことに、
目の前の出来事に右往左往し、
一喜一憂しますね。
うまくいかないと、
行き詰まると、
すぐに「終わった~」って思ってしまう。
すぐに神様の御業が見えてくなり、
恵みを見失い、
どんなに聖書を読んでも
目の前の状況と乖離しているように
感じてしまう。
もしかしたら、
私たちの計画や願いが
砕かれたときこそ
神様の新しいご計画が始まる時
かもしれないのに・・・。
コロナ禍の終わりが
少しずつ見えてきた、
だからイエスさまのこの
神の国の到来の宣言から
喜びの響きを聞き取ろう・・・
もちろんそれも意味のあることでしょう。
しかしもっと大切なことは、
この主イエスの宣言が、
コロナ禍のただなかでも
鳴り響いていたのだ、
という事実を受けとめなおすことです。
「時は満ち、神の国は近づいた。
悔い改めて福音を信じなさい!」
うまくいかないとき、
思い通りにならないとき、
それは「神の時が満ちた」ときであり、
それは私たちが
もう一度悔い改めて、
もう一度神様の約束に向かって
心を高くあげるべきときです。
兄弟姉妹、
心を高くあげてください!
この世界が最も暗くなったとき。
主イエスが十字架にかけられた
あの数時間。
そして主イエスが墓に葬られていた
あの二日間。
神のご計画が頓挫したかに見えた、
あのときこそ、まさに、
神のご計画が力強くなされ、
主イエスの復活の朝が
まさに目の前に迫っていた、
時がまさに満ちていた、
そういう時でしたよね。
主イエスが引き裂かれた
金曜日。
主イエスが葬られた
土曜日。
あなたの人生にも、
そんな金曜日、
そんな土曜日があるでしょう。
けれども、
そのようなときこそ、
「主の日」がすぐそこに
来ているのだと信じてください。
イエス・キリストが
あなたの目をしっかりと見て、
言われます。
「時は満ち、神の国は近づいた。
さあ悔い改めて
わたしの福音を、
このわたしを、
もう一度信じなさい!」
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