
【聖句】
たとえ、山を動かすほどの
完全な信仰を持っていようとも、
愛がなければ、無に等しい。
(新約聖書・コリントの信徒への手紙一13章2節)
【黙想】
昨日10日㈰の礼拝説教では
私たちキリスト者に与えられている
「聖霊の賜物」について
1コリント12章1節から11節から
学びました。
本当は8節以下の
聖霊による賜物の一つ一つを
丁寧に紐解くことができれば
よかったのですが、
どうしても時間との兼合いで、
触れることができませんでした。
8節以下では、
信者に与えられる聖霊の賜物のうち
9つが列挙されていました。
そのうちの3つ目に、
「信仰」という賜物が出てきていました。
おや?と思うかもしれません。
「信仰」は、
すべての人に与えられている
共通の賜物じゃないの?って。
そうです、確かに
「信仰」はキリスト者すべてに共通して
与えられている賜物なのですが、
ここで言われている
聖霊の賜物としての「信仰」というのは
それとは異なるものなのです。
たとえば教会が、
何か大きな困難ぶつかっている。
しかしなお、
信じて踏み出さねばならないとき。
多くの人々がたじろぐ。
とまどう。
恐れる。
しかし、その中である人が
立ち上がるのです。
必ず神様が成し遂げてくださる。
信じて、踏み出しましょう。
教会はその人の
信仰の込められた一言に
不思議と力づけられ、
目を覚まされて、
立ち上がっていく。
教会にはしばしば、
このように、
何か危機的状況のとき、
あるいは大きな試練のときなど、
特別に力強い信仰の力を
必要とするときがあります。
98年前の山田教会。
「教会独立」を巡って、
さまざまな困難があり、
さまざまな不安要素がありました。
特に財政的な問題が大きかったのです。
何度も教会総会を開きました。
しかしなかなか踏み出せませんでした
しかしそこで、
当時最高齢だった一人の婦人が
おら立ち上がり、
拳を高く振り上げて叫びました。
「この会堂の七つの電灯を一つにしてでも、
いま、独立しましょう!」
すると、この婦人の声によって
教会の空気が一変したのです。
そうだ!と。
必要は必ず主が備えてくださる、と。
教会は信仰に目覚めたのです。
そして大胆に信仰によって
独立に踏み切ったのでした。
この、教会の信仰を呼び覚ました、
一人の婦人の信仰の力。
まさにこれが「信仰」の賜物です。
そのうえで、なのです。
そのうえでパウロは、
こう言うのです。
たとえ、山を動かすほどの
完全な信仰を持っていようとも、
愛がなければ、無に等しい。
教会を建てあげるため、
主の栄光をあらわすために与えられる
種々の聖霊の賜物。
しかしそれらよりも大事な賜物がある。
完全な信仰よりも
大事なものがある。
それは、「愛」の賜物です。
ガラテヤ書5:6には、
大事なのは、愛によって働く信仰です、
という言葉もあります。
愛によって働く信仰。
愛がなければ無に等しい。
愛を追い求めなさい。
(1コリント14:1)
さあ、私たちは今まで、
どれほど「愛をください」と
祈ってきたでしょうか。
愛されることだけでなく、
愛することを心から
願っていたでしょうか。
家族が〇〇になりますように、
娘が〇〇しますように、などと
相手のために祈る前に、
私たちは自分自身のために
こう祈るべきなのではないでしょうか。
神様、娘を、家族を、
愛することができるよう、
「この私」を助けてください。
Comments